育児

新版K式発達検査とWISC-Ⅲ

妖精ちゃんが、WSであると分かり、一番ショックに思った事は、「知的障害がある」と言う事でした。

9歳まで、この事は、私の心の中で勝手に封印しておいたのですが、事実として認め、受け入れなければなりません。

もちろん、いろんな面で他の子と比べて遅れのある事は、分かっていました。

でも、親の欲目で、いつかきっと追いつく。
出来るようになると、思い込んでいたところもありました。

ですが、はっきりとWSの子には「知的障害」があると分かり、妖精ちゃんの健やかな成長のためにも、発達検査を受ける事にしました。

以前にも書きましたが、民間では、『WISC-Ⅲ』を、市の児童福祉相談所では、『K式発達検査』というのを受けました。

私は、これらの検査の違いを全く理解していませんでした。

そこで、妖精ちゃんが通っている民間の療育機関の所長さんにいろいろと教えていただきました。

『K式発達検査』(京都式発達検査)は、受検者の、実際の年齢で、50%の子供ができるものを到達点としているというのです。
図形の検査などは、「ひし形」が描ければ完成となり、それ以上の年齢は出てきません。

今、どの年齢くらいまでの事が出来ているかを調べる検査なのです。
ですから、評価の仕方は、○才△ヶ月と表されます。

実年齢は、12歳であっても、妖精ちゃんのように、数の概念に乏しいと、「数」は、6才前後と評価されます。
それに対して、比較的流暢な会話が成立してますので、「言語面」では、9歳台という評価がされました。

子供の発達では、9歳の壁というのがあり、抽象的な表現や曖昧な表現ができるかどうかが、この年齢なのだそうです。

妖精ちゃんは、現在この壁に突き当たっている状態なのです。

学校の勉強も、4年生から急激に、抽象的になってきますので、学力面でも大きな差が表れてくるのです。

『WISC-Ⅲ』は、知的能力を調べる検査です。
この検査は、受検者が、実際の年齢を100とし、与えられた課題をどのくらい出来るかを調べるものです。
より、たくさん出来たら、100以上の数字で表されます。

この検査では、【知覚】(「聴覚」・「触覚」・「前庭覚」・「固有覚」・「視覚」)のバランスが分かります。
ひとは、これらの感覚が、うまく合わさって体に入り、整理されているのですが、このバランスが悪いと、揺れが大きくなり、うまくバランスが取れない状態になってしまうのです。

説明してくださった先生は、「波乗りをしている自分を想像してください」とおっしゃっていました。

どれか一つだけ際立って出来たとしても、揺れは大きくなり、バランスが悪くなります。

また、どれか一つが苦手だとしても、やはり揺れは大きくなり、バランスが崩れます。

このように、いろいろな方面から、多角的に見ることができるのです。

よく言われる、感覚統合の訓練は、揺れをできるだけ小さくし、できるだけ安定したバランスが取れるようにするものなんです。

『K式発達検査』は、その子が、「何歳くらいの事ができる」を知る検査であり、『WISC-Ⅲ』は、その子のプロフィール(横顔)を知る検査なのです。

どちらの検査がどうこうと言うのではなく、子供の発達を理解するうえで、全く別のものであるという事です。

妖精ちゃんの場合は、たまたまこれら二つの検査を受けるチャンスに恵まれました。
両方の検査結果で、より一層妖精ちゃんの発達について理解する事ができました。

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初めての発達検査

WSがだいたい10歳くらいまでの発達しかしないと、文献で知り、小3(9歳)になった時、初めて民間の機関で、「発達検査」を受けてみる事にしました。

公的機関で、受けても良かったのですが、その当時どこも、数ヶ月待ちと言う事でした。

数ヶ月も待てなかった私は、YWCA内にある、“きょうと こども相談室”の戸をたたきました。

こちらは、発達にいろいろ問題を抱えているこどもの相談、療育をされています。
妖精ちゃんの担当の先生は、長岡京市で、検診・療育に携わっておられる方でした。

妖精ちゃんの生育歴・発達の様子などを何回かに分け、みてくださり、最後に「発達検査」を受けました。

この時の検査は、「WISC-Ⅲ」と言われるものでした。

検査結果は、生活年齢9才0ヶ月で、FIQ(総合)62で、妖精ちゃんの知的水準が知的障害(軽度)であると診断されました。

VIQ(言語性)79、PIQ(動作性)が51と両者の差が、20以上とかなり激しいために、このような診断になりました。

群指数についても、同様の評価が出ていました。
言語性IQ79・言語理解IQ79・注意記憶IQ85・処理速度IQ7と、何れも境界域(いわゆるボーダー)に分類されますが、知覚統合IQが50。
30近くの差がありました。

総合所見として、
過去の経験や実際的な体験から理解し、それを表現する力や聴覚的な短期記憶は生活年齢に近い能力をもっているのではと考えられます。
これに対し視覚的な長期記憶や全体を部分に理解する力・結果を予測する力・部分間の関係を予測する力などが弱くテスト年齢に換算すれば5歳前後の能力と推測されるものもあります。
このように妖精ちゃんのもっている能力には個人内の差がとても大きいのが特徴です。

この特徴こそが、WSの特徴だと理解しました。
耳が良く、言葉を流暢に話す事が出来ることで、言語性の数値が高く評価され、視空間認知の悪さが、動作性の数値の低さに顕れたのでしょう。

この事をふまえ、これから後は、今まで以上に、妖精ちゃんのために、学習方法や生活面での工夫を重ねていくようになりました。

出来る事、出来ない事がより具体化されて示された事で、家だけでなく、学校でもきめ細かな配慮をしていただけました。
この結果があったからこそ、小学校卒業まで、普通学級でみんなと一緒に過ごす事ができたのだと思っています。

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療育手帳

ずっと染色体検査をせずに、健常な子として育ててきた9年間。

でも、親の目からみても、他の子と比べて、どんどんと学力に差が出てきている事が、歴然としてきました。
授業内容も、どんどん抽象的表現が多くなってきました。
このままでは、妖精ちゃんがかわいそう過ぎる。

そう思った私は、まず、最初にウィリアムズ症候群を疑われた病院へ行き、検査の依頼をしました。
結果を待つ事1ヶ月。 診断結果は、やはり「ウィリアムズ症候群」でした。
これでもう、私の心も決まりました。
妖精ちゃんに無理な事をさせるのは止めよう。
このままでは、妖精ちゃんが妖精ちゃんで無くなってしまう。
今までの私の気持ちの迷う(ひょっとしたら、ウィリアムズ症候群ではないかも)気持ちの整理のためにもやっておこうと思った事があります。

それは、「療育手帳」の申請です。
「療育手帳」は、知的障害を持つ人に交付される手帳です。
大きく、A(重度)とB(中~軽度)に分けられます。
妖精ちゃんの場合、一度も「療育手帳」の申請をどこかから進められたり、教えてもらった事はありませんでした。

妖精ちゃんが、ウィリアムズ症候群ならば、知的障害があるはずだから、申請すれば交付されるのではないかと考え、役所に相談に行きました。
そこで、「療育手帳」を交付してもらうためには、申請書を出し、児童相談所で発達検査を受けなければなりません。
すぐに書類を出し、検査を申し込みました。
H17・3・11に検査を受けました。
その場で、判定されます。
検査後、検査員の方にいろいろと説明を受けました。
京都では、K式発達検査と言って、京都で開発された検査がされます。
何が出来て、何が出来ないかの説明を聞きました。
そして、軽度の知的障害があるという判定結果が出ると言う事も。

一週間後、連絡があり、「療育手帳」が交付されました。
京都市では、市バス・地下鉄は、「療育手帳」を持っているのが、子どもの場合、小学校の間は、本人と介助者とは運賃が無料になります。 他に、タクシーが1割引だったり、美術館や博物館、史跡なども無料で入る事ができます。
3年間、お稽古事で公共交通機関を使う事が多かったし、たくさんの施設へも出かけたりして、本当に親子で「療育手帳」を活用させていただきました。
「療育手帳」の更新は、3年毎と決まっています。 丁度、今年の3月が、更新時期でした。

4月からは、中学生となりましたので、本人のみ、市バス・地下鉄の運賃が無料に変わりました。
他のサービスは、変わりありません。
この「療育手帳」ですが、B判定の場合、それほど何か特別に良い点があるかというと、あまり無いのが正直なところです。
お役所の方もそうおっしゃっていました。
でも、外見ではハンディキャップがあるという事の分からない妖精ちゃん。
いつの日か、一人でも行動出来る様になってもらいたい。
そのときに、もし、困ったりした時に、この手帳を持っていて、提示する事で、そのときの妖精ちゃんの「困りごと」が、理解してもらえるのではないか。
そして、何らかの支援をしてもらえるのではないか。
そのためには、親と一緒に行動するうちに、「療育手帳」を携帯し、「使う」という事に慣れておいた方が良いのではないか。
そんな考えから、取得したのです。

今では、外出する前に「お母さん、手帳持った?」と、自分から確認してくれるようになりました。

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気付きの落とし穴

妖精ちゃんは、小さく生まれ、なかなか体重が増えず、発育のすべてがゆっくりでした。

親としては、不安に思いながらも、妖精ちゃんなりのゆっくりた成長をたのしみに子育てしていました。

乳児検診などでも、平均体重より少なかったり、歩くのが遅かったりと心配事はありましたが、保健婦さんから、なんらかの個別のお話があったことは、一度もありませんでした。

それは、妖精ちゃんが、「意味のある言葉」を標準で話したからだったのです。

この事が、今後妖精ちゃんの成長に大きな落とし穴になろうとは、このとき全く気付かなかったのです。

妖精ちゃんは、ウィリアムス症候群(WS)ですが、特徴として、言葉をよく話します。
小さな間は、単語の羅列だけで、自分の意思を相手に伝えれられれば良いので、全く遅れには気付かなかったのです。

乳幼児の正常な発達段階の中に「指差し」というものがあります。
言葉がまだ未熟な頃は、自分の欲しい物などを相手に伝える場合、そのモノを指差し「ア~ア~」と、自己主張したりします。

ですが、ウィリアムスの子は、言葉がよく出るので、指差しをしない場合があるというのです。

この事を知って、妖精ちゃんの赤ちゃんの頃を思い出してみました。
確かに!
本当は、指差しをしても良い時期に、全く指差しをせず、そのまま1歳前から言葉を発するようになったのです。

「指差し」が、発達段階の中であるかないかが、子どもが正常に発達しているかどうかの見極めになる事を初めて知ったのです。

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早期療育とは?「果てしなく高い空」

娘の妖精ちゃんが、「困りごと」を抱えながらも、「みんなと一緒」の普通学級に6年間も通う事ができたのは、いろいろな方の後押しや支えがあったからです。

学力面で小学校4年生くらいから、今まで以上に、はっきりと遅れが分かるようになり、親としては心配の連続でした。

そんな時、妖精ちゃんの専門医が大阪の病院で診察されている事を知り、受診してもらいに行きました。

診察の後、療育相談もしていただけるという事で、相談に。
ここでは、これからの妖精ちゃんの相談をしました。
すると、かなり考えさせられる事を言われました。

「困りごと」のある子には、『早期療育を』と。
『早期療育』とは?
それは、育成学級なり、養護学校なりで、個々に合った教育を受けなければ、将来大変な事になります。という事でした。

正直、ショックでした。

今までの妖精ちゃんの事や、今の妖精ちゃんの事を何も知らない、会ったばかりの人に、妖精ちゃんの何が分かるの?
こんなに親子でがんばってきたのに・・・。

無駄だったって事?

この言葉を受けて、妖精ちゃんの進路を考えるべく、妖精ちゃんにかかわってくださっている方々に相談してみました。

そこで、まず生まれた時から心臓を診察していただいている、総合病院の小児科の先生に相談しました。
すると、その先生は、
「なんで分けようとするんや?
私は、育成学級そのものの存在を否定しているんや。
どんな子も同じ環境で学ぶ事が、なんであかんのや?
普通と、育成とがあるのは、教える側の都合で作ってあるように思えてならん。
もし、妖精ちゃんに、育成に行きなさいと学校が言うんやったら、私が学校の先生に話しに行ってあげるから、やれるところまでやんなさい。」と・・・。

同じ時、小学校の育成学級の先生にも迷う気持ちを話しました。
育成学級のY先生は、
「お母さんは、なぜ育成を考えてらっしゃるのですか?
妖精ちゃんは、お友達とも、問題なくやってるし、勉強の事を心配されているのですか?
お母さんは、学校で学んだどれだけの事を今の生活で使っていますか?
お買い物の時、どれが新鮮で予算内で買えるかくらいが分かれば良いでしょ?
学校は、勉強だけを学ぶ所ではないんですよ。
多くの仲間と一緒に感動したり共感したりする時間も大切なんです。
今の妖精ちゃんには、そんな時間をすごす方が意義ある事だと思いますよ。
卒業するまで大丈夫ですよ!」と・・・。

そして、毎週受けているセラピーの先生から。
「お母さん、妖精ちゃんの天井を決めていませんか?
妖精ちゃんには、まだまだ可能性があります。
その可能性を伸ばすのに、ココまでという天井を先に作ってしまったら、そこで止まってしまいます。
空は、どこまでも高いんですよ。
もし、がんばってやってみて、これ以上はもう無理だとなった時、天井が見えた時に、それに合った療育をしていけば良いでしょう。」と。

よ~く考えてみました。
医学の面では、はっきりとココまで。
コレしかできない。
コレは、できない。
という前提で妖精ちゃんを診断されました。

ですが、心理学の面では、限りない可能性を引き出そうとしてくださいます。

また、妖精ちゃんの通う学校という教育現場では、人間性を尊重した教育を考えてくださっていました。

親は、専門医の判断を受け入れなかったのではなく、妖精ちゃんの可能性にもう少しかけてみよう。
きっと、まだまだ出来るようになる事がいっぱいあると思ったのです。

妖精ちゃんの成長ぶりを考えてみると、小学校の6年間は、決して間違っていなかったと言いきれる自信があります。

医学的には、「ココまで」とされていた所を大きく越えたようにも思いますし、「出来ない」とされていた事の多くを「出来る事」にする事ができました。

半年に一度、今でも専門医の診察を受けていますが、報告の度に驚かれています。

妖精ちゃんの天井は、まだまだ高いところにありそうです。

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WSと自閉症

8月19日の学習会で、様々な内容のお話を聞いてきたのですが、そのうちのひとつ。
かなり興味深い内容のお話がありました。

WSは、自閉症にも似ている面があると、報告されています。
はなこの娘、妖精ちゃんに関しては、子育ての中で、あまり感じるところはありませんでした。
強いて言うならば、着る物の素材(肌さわりの好み)と音過敏くらい。
何かに強いこだわりを示す点が、自閉症と似ていると言われているのだと解釈していました。

お話の中に、アメリカの学会の報告の中に、WSと診断された子どもの中に、自閉症の診断を受けている子も居ると言う事でした。
それは、WSの診断は、染色体検査から診断され、自閉症は、行動から診断され、診断の方法や基準が全く違lっているという事でした。
自閉症の診断は、話し言葉やIQ値ではなく、共同注意・参照・行為の有無・対人相互性、常同・反復行為など自閉症の三つ組みがあるかどうかで決められるのだそうです。

つまり、WSの子の中には、自閉症と診断される子も居ると言う事です。
言い換えれば、先に自閉症と診断され、WSだと分からない場合もあると言う事。

自閉症には自閉症の適切な療育があり、WSにはWSの適切な療育があるはずです。
もし、両方の場合がある子どもの療育には、それに適した療育を考えていってあげなければ、二次障害などの心配が起こってくることが考えられます。

もし、病院などでWSと診断されても、成長過程で発達に心配な事があれば、児童相談所などの機関に相談する必要があるかもしれません。

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自転車

運動能力が、同年齢のお友達よりも劣っている妖精ちゃん。
空間認知も悪く、どんくさい妖精ちゃん。
移動手段は、もっぱら徒歩か、大人の自転車の後ろ(後部荷台の補助椅子)。
下の子(年の差2歳4ヶ月)が出来てからは、前に弟。
後ろに妖精ちゃんを乗せて、走っていました。
法令では、自転車の3人乗りは禁止されていたようですが、そんな事も知らず、平気で乗せていろんな所へ走り回っていました。

妖精ちゃんのお友達は、早い子では、幼稚園の年少さんで、すでに補助輪無しの自転車に自分で乗っていました。
ですが、妖精ちゃん、小学校の1年生の時点で、まだ補助輪付きの自転車を自分でこぐ練習中。
家の前をちょこっと乗る程度。

どうも、補助輪がある事で、重心がグラグラして、自分で上手にバランスがとれず、怖かったようです。
妖精ちゃんに、「自転車に一人で乗れるように頑張って練習しようよ。」と、言ったところ、 「なんで、そんな怖い事練習しなあかんのよ!私は、どっか行く時は、お母さんやお父さんの自転車に乗せてもらって行く方が、楽で良いから、自分で乗れなくてもいいもん。」と言うのです。

こりゃあかんわ。

自分で、自転車に乗りたい!と、思わない限り自転車には乗れないでしょう。
それ以来、自転車の事には触れませんでした。

ですが、チャンス到来!

小学校2年生に進級する春休みのこと。
長年、子供達を乗せ続けてくれた「子ども乗せ椅子」が、土台からポッキリ折れたのです。 そう! 長年の使用で、劣化したのです。
これをチャンスとばかりに、妖精ちゃんに言いました。
「ほら~。もう2年生にもなるのに、お母さんの後ろにいつまでも乗せてもらってる人なんていはらへんよ。 それが証拠に、子ども乗せ椅子が、折れてしまったもん。 妖精ちゃんは、もう乗れませんって事なんやで。」
妖精ちゃん、しぶしぶ承知しました。

春休みですので、宿題もありません。
毎日毎日一生懸命練習しました。
上手にバランスが取れません。
力も弱いので、フラフラです。
転ぶ度に、「もう、嫌!自転車なんか乗れなくても良い!」の連呼。
妖精ちゃんの自転車の特訓には、親だけではありません。
仲良しのお友達も一緒に応援してくれていました。
「一緒に自転車で遊びに行こう!」と励まし続けてくれました。

2002年4月2日。
妖精ちゃん、やっと一人で自転車に乗ることが出来ました。
本当は、一生、自転車を一人で乗るなんて事は、出来ないんじゃないかと思っていました。
でも、お友達の励ましや、妖精ちゃんの努力と根性の結果。
見事、補助輪無しの自転車に乗れるようになったのです。

乗れた瞬間は、本当に感動的でした。 一度コツを覚えてしまえば、もう大丈夫!
同じ学年ののお友達よりも、随分遅れてしまったけれど、ちゃんと一人で自転車に乗れるようになりました。

それからは、安全な道を選んで、自分の自転車で、サイクリングを楽しめるくらいまで上達しました。

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出会い

妖精ちゃんが、ちょっと世間一般のお子様とは、どこかが違うと感じ、悩みに悩んだはなこ。

病院をはじめ、いろいろな機関、お友達などに相談していたはなこ。

そのお陰か、はたまた妖精ちゃんの持って生まれた徳なのか、多くの素晴らしい方との出会いがありました。

お医者様との出会い。
ヤマハの先生との出会い。
学校の先生との出会い。
お友達との出会い。
妖精ちゃんを通してのママ友との出会い。
他のお稽古事の先生との出会い。
などなど・・・・。

まだまだ数え切れないくらいの出会いがあります。

その中で、今の妖精ちゃんにとって、とても大きな出会いが一つありました。
それは、妖精ちゃんの抱える問題に、個別に対応した指導(セラピー)をしてくださる民間の施設と、そこの先生との出会いです。

妖精ちゃんの住む地域では、就学前の子供には、児童相談所が対応してくれますが、就学後の子供に対しては、未対応。
相談に出向きましたが、発達検査のみ。

私の不安への対応は、全くありませんでした。

行き場も無く、ずっと悩んでいたはなこに、
自閉症のお子様を持たれた、ママ友が、この民間施設の事を教えてくださいました。

このママ友とは、いつも愚痴りあったり、慰めあったり。

なんだか、世間にはじかれたような気持ちでいた者同士、多くを語らなくとも、理解しあえる、大切な存在のママ友です。

そのお子様が、どなたかから紹介を受けて、通われて、とても良いところがあるからと、私達親子に紹介してくださいました。

この施設は、就学前から大人になっても通えるとあって、なかなか入る事が出来ない施設のようです。

それは、妖精ちゃんが小4の初夏の事でした。

電話で、相談をしましたら、「とりあえずお会いしましょう。」と言っていただきました。

そして、施設長の面談を受けました。

妖精ちゃんの成育歴から、就学後の事。
抱えている問題をあれやこれやと、時を忘れ、はなこの胸に溜まっていたすべてを吐き出すように、話しました。

先生は、時折頷くだけで、じっとはなこの話に耳を傾けてくださっていました。

ぱやこが、話し終ったあと、静かに、
「お母さん、今まで本当によく頑張ってこられましたね。今の妖精ちゃんがあるのも、お母さんやご家族の力があったからですね。大丈夫ですよ。心配いりません。私達が妖精ちゃんのこれからの成長のお役に立てるように、一緒に頑張っていきましょう。」と言ってくださいました。

この言葉を聞いて、今まで、突っ張って頑張ってきたぱやこの気持ちが一気に解放され、堰を切ったかのように、涙がこぼれました。

初めて、はなこの子育てと妖精ちゃんという子を世間に認めてもらったような気がしたのです。

だって、今まで、どこへ行ってもはなこの気持ちに沿った返答をしてくださった方がいなかったのですもの。

この民間施設との出会いは、それはそれは、妖精ちゃんとはなこの成長に大きなものとなりました。

この施設は、どんな所なのか?

主に、発達障害(軽度知的障害も含む)を持ったお子さん、一人一人に合った、個人カリキュラムを組み、指導してくださっています。

対人関係が苦手なお子さんには、言語・コミュニケーション指導であったり。
クッキングを通しての指導であったり。
感覚統合指導もあります。
ソーシャルスキルトレーニングもあります。
絵や造形での指導もあります。
学習障害のお子さんには、教科学習指導もあります。

この形態も、個々に応じて、個人であったり、グループであったり。

小学校の間妖精ちゃんは、個人で週に1回、1時間の指導を受けていました。

内容は、とても濃く、学校の先生も驚かれるほどの成長ぶりです。

専門家の先生に、指導していただくだけで、こんなにも違うものかと、ただ驚くばかりです。

こちらの民間施設では、将来親から自立して生活できることを最終目標とされています。

何らかの問題を抱えた子の親ならば、大なり小なり、その子の将来の事を思い悩んでいます。

ずっと手元で大切に置いておけたら、どんなに良いだろうとも思います。

けれど、現実は厳しく、いつかはひとりになる我が子。
親の力にも限界があります。

大切な大切な我が子が、将来、なんとか生活できますように。

妖精ちゃんも、まだまだ心配な事だらけ。

妖精ちゃんの将来に向けて、こちらの民間施設で、妖精ちゃんに合ったプログラムでセラピーを受けています。

どんな将来が迎えられるのか、妖精ちゃんの成長ぶりがとてもたのしみなはなこです。

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出生の秘密

我が家の妖精ちゃんは、生後間もなくより、心雑音があり、首の据わりも4ヶ月と遅く、歩き始めたのは1歳8ヶ月。
すべての成長がゆっくりん。
12歳の今でも、お医者様との縁は切れません。

抱えている問題はいくつかありますが、その中でも
一番大変だな~と思われるのが、
空間が捉えにくいという、空間認知障害です。
これは、階段の昇降が怖かったり、ボールの飛距離がうまく捉えられなかったり・・。

知らない場所では、迷子になる事もあります。

もっと小さい時は、服の後ろ前がわからなかったり、靴の左右がわからなかったり。
でも、日々の生活の中で、少しずつですが、改善されています。

今、一番困っているのは、高学年になって、画数の多い漢字を覚えて、書くという事です。
読む事は出来ても、なかなか書けないのです。
四角い箱の中に、バランス良く書く事。
簡単そうに思える、こんな作業が、妖精ちゃんにはとても大変なんです。

今は、治りましたが睡眠障害に摂食障害もありました。
寝ない、食べない、で本当に大変な幼児期でした。

けれども、大病もせず、手術の必要もなくブクブク・・・
いえいえ、スクスクとここまできました。

幼稚園、小学校とみんなと同じように進み、多くの先生や
お友達の理解で、いじめられる事も無く、本当に楽しく、有意義な毎日を送っています。

妖精ちゃんには、2歳下の弟がいます。

その弟が、風邪をひいていつもの小児科におばあちゃんと行った時のことです。

お医者様に、「お姉ちゃんが、男やったら、良かったのに。
でも、お姉ちゃんは、女に生まれて来たくて、一生懸命1番に泳がはったんやし、仕方ないな~。そやけど、お姉ちゃんが1番やったって事は、他のおたまじゃくしは、ものすご~くノロくてのんびりしてはったんかな?」
と、先生に言ったそう。

そしたら、先生は笑いながら
「いやいや、お姉ちゃんもものすごいスピードで、一生懸命泳いで1番にならはったんやで。でも、泳ぎ着いてから、疲れてちょっと、お病気か怪我しはったんかもしれへんな。生まれて来てからやったら、お病気になったら、すぐにこうしてお医者さんにかかったら治るけど、お母さんのお腹の中やったら、なかなかわからへんからな。」と、説明してくださったんだとか。

そうやな、妖精ちゃん、うちに生まれて来たくって、一生懸命泳いで、ちょっと疲れただけなんやろう。
だから、生まれてから、の~んびりの~んびり、ゆっくりゆっくり成長してるだけなんやわ。

ほんまに、いろんな事頑張ってるもんな~。
出来なかった事も、少しずつだんだん出来るようになってるし。
ええねんよなぁ、ゆっくりで・・・。

みんなと一緒の事が、なかなか出来ないからって、
一番、焦って慌ててたのは、お母さんのはなこやわ。

一人ずつ違っていいねんなぁ。
妖精ちゃんは、妖精ちゃんやもん。

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子育ては親育て

娘は、12才。
私にとって初めての子供ですので、私も親になってまだ12年。

心雑音で病気が見つかり、その後には染色体異常の疑い。

この頃の私の気持ちは、
「なんで、私にこんな子が生まれてきたん?」

こんな子・・・。
こんな子という表現がすべてを物語っています。

病気に対しても、ハンディキャップにたいしても、心のどこかで差別的に思っていたのでしょう。

自分の娘の、何かが違う、どこかが違う。

受け入れられない!
受け入れたくない!
知りたくない!
知るのが怖い!

娘に、ハンディキャップがあるかもしれないと分かった時、主人に、
「どうしよう・・・。この子に障害があるかもしれへんのやて・・・。」と言いました。

その時の主人の返事は、「ええやないか、うちを選んで生まれてきた子や。大事に大事に育てたら。こんなに可愛いし、一生懸命生きているんやから。」

静かな、この言葉に私も「そやな・・・。ほんまやな。」

何を考えてたんやろう、私って。

それからは、主人の言うとおり、私達家族で、大切に大切に育ててきました。

それでも、娘への「疑惑」は、心のどこかで受け入れようとしながらも否定し続けていました。

だから、9歳になるまで、きちんとした検査を受けようとしなかったのでしょう。

娘を育てているつもりで、私は、娘に親として育ててもらっていたのです。

娘の成長よりも、親の成長の方が、ゆっくりゆっくりゆっくりだったように思います。

今も、まだ娘の成長に、必死で追いつこうとしている私です。

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発話

1歳くらいから、こちらの言う事にはしっかりと理解を示し、身振りで様々な意思表示が出来るようになりました。
それでも、言葉らしい言葉は、まだ話せませんでした。

こちらの言う事は、よくわかっているのに、しゃべらないな~と思っていたら、1歳3ヶ月(伝い歩きが出来るようになった頃)になって、ある日、食べ物を前に「マンマ・マンマ」と話すようになりました。

それからは、伝い歩きをしながら「ウンチ・ウンチ」と掛け声をかけたり・・・。
これは、娘が伝い歩きを頑張ってしていると、横からおばあちゃんが「ヨイショ!ヨイショ!」と掛け声をかけるから覚えたんだと思われます。

娘のこの発話が、様々な遅れの発見を見逃す事となったように思います。

乳幼児健診では、体の発育状態だけでなく、発話や意思表示の様子などで知的な発達の判断をされます。

娘は、1歳6ヶ月健診時に、意味のある単語が話せ、2歳時には、簡単な二語を話すことも出来ました。

言葉の発達にあまり遅れをみなかったのは、毎晩寝るときに、寝つきの悪い娘のために、お父さんが「あ」から順に、「あ~は、ありさんのあ」「い~は、犬のい」というふうに、様々な言葉を子守唄代わりに聞かせていたからなんじゃないかな?と思っています。
最初は、聞いていただけの娘も、だんだんと、簡単な単語なら、一緒に言えるようになってきたのです。

夜は、暗がりの中で「音」として聞いていた言葉も、昼間は視覚から、「ほら、これがあ~のありさん」などと、遊びながら確認していました。

最初は、名詞の認知から。

モノの名前の認知がどのあたりで確立されていったかは、記憶があいまいですが、この遊びのおかげで、早い段階で、簡単な(よく目にするもの,欲しいもの)単語は、話せるようになっていたように思います。

娘は、言葉を音とリズムで覚えていきました。
この頃、親はまだ知らなかったウィリアムズ症候群の特徴である、耳(音感の良さ)が、上手く言葉を覚えることと連鎖させることが出来たからだったのでしょう。

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たっちからひとり歩き

1歳3ヶ月でやっと伝い歩きが出来るようになった娘ですが、なかなか「ひとり立ち」は出来ませんでした。

体が小さく細かったせいもあるのかもしれませんが、なかなか両足でしっかり立つと言う事が出来ませんでした。

伝い歩きだって、両手を離すことはありませんでした。

立ったままテーブルの上のモノを取る時だって、おなかをしっかりテーブルにもたれさせていました。
体重は、しっかりテーブルに預けていたのです。

「ひとり立ち」が出来るようになったのは、1歳5ヶ月の時。
この頃の体重が7000g
伝い歩きから2ヶ月もたっていました。

健常なこどもが、標準的な発達をするのに平均どれくらいの時間を要するのか私にはわかりませんが、ひとつずつのステップアップに、娘はそれなりの時間を要するようでした。

「ひとり立ち」から「ひとり歩き」が出来るようになるまで、これも時間が必要でした。

フラフラとしながら両手でバランスを取りながら、しばらくの時間立っていられるようになったけれど、なかなか足が前へ出てくれません。

はじめの一歩が、なかなか・・・。

やっと歩けるようになったのが、1歳8ヶ月になって。
自分で立てるようになって、少し食欲も出てきて、だんだん身につくようになってきました。
体重も7500gまで増えました。

歩いた日の事を今でも鮮明に覚えています。
忘れもしないきっかけが。
娘が悪さをしようと、ローボードのふちを持って立っていたところ、私がいつもより大きな声で「何してるの?」と言ったところ、びっくりして、お父さんに向かって慌てて歩いて(小走り)逃げていったのです。

みんな驚いて、「なんや!歩けるやん!」と言ったのを覚えています。

きっと、両手を離して歩く事が怖かっただけだったんだと思います。
コツを覚えた娘は、両手をぱやぱやさせながら、上手にバランスをとりながら、やっと歩く事が出来るようになりました。

でも、まだまだ長距離を歩く事はありませんでした。

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断乳

つかまり立ちをしてから、なかなか伝い歩きもせず、ただ同じ場所で、足の屈伸運動を続けていた娘。

1歳3ヶ月くらいになって、やっと横への移動が出来るようになりました。

体重も、やっと7000グラムを越えてくれてやれやれ。

この頃、まだしっかりとした食事が出来なくて、私の小指の指先くらいの大きさのおにぎり3~4個を1回に食べるのがやっとこさ。
いつも、お父さんがこのおにぎりを作ってくれていました。

これを、日に何度も食べていました。
それでも、注意していないと、戻してしまうので、かなり食事環境には気を使っていました。

新生児の頃よりしょっちゅう戻していたのですが、どうも理由があったようです。

高カルシウム血症の子は、よく戻したり、不機嫌でよく泣いたりするのだそうです。
うちの娘もおんなじ。
でも、お医者様に検査してもらった事が無かったので、しらないままに終わっていたのです。
もし、検査してもらっていて、高カルシウム血症だったならば、低カルシウムミルクなどを処方してもらうことで改善できたのに・・・。

そしたら、こんなに大変な思いをすることも、もう少しなかったのかも・・・と、今になって思います。

一日中、飲んでは戻しで、いつも空腹感を持っていた娘も、1歳3ヶ月で断乳しました。

離乳食は、1歳で、すでに完了していたのですが、相変わらず食べては、戻しを繰り返していたので、おっぱいは飲ませていました。

小児科医の先生には、「歩くまでは母乳を飲ませていても良いですよ」と言われていました。

歩き始めると、神経伝達が完全に出来上がるのだそうです。

1歳3ヶ月で、まだ歩かなかったのですが、一日中おっぱいを飲ませているような感じで、何も出来ない事と、乳首が痛くてたまらなくなっていたから、もう限界だ~と、思い決心したのです。

断乳は、意外と上手くいきました。
口寂しくって、眠たくなると欲しがっていましたが、その都度「もう、おっぱいは、おしまいよ。」と、言い聞かせました。
そして、おばあちゃんかお父さんが娘を寝かせてくれたのです。

断乳に関しては、あまり苦労した記憶がありません。

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長かったつかまり立ちの時期

つかまり立ちが出来るようになったのが、標準月齢のほぼ最後の方の10ヶ月になろうかとする頃でした。

ずっとゆっくりの成長だったので、「おっ、ここへきて、一気に追い上げて、問題無しか!」と、喜んだのもつかの間。

体重もパーセンタイルの最低ラインを割り始めました。

1歳の誕生日の頃になっても、全く歩く気配は無し。
この頃の体重が、6800g

伝い歩きすら、する気配は無し。

ずっと、テーブルを持って、足を上下に屈伸させて、スクワットをしているだけ。

本当は、歩けるんじゃないの?と思ったくらい。

今から思えば、足を上手に横に出せなかったようです。

1歳3ヶ月くらいになって、やっと伝い歩きが出来るように。
やっと7000グラムを少しだけ越えました。

でも、ちょっとしたことでフラッとなり、バランスを崩して倒れていました。
危なっかしくって・・・。
何度も顔をごっつんこしてました。

毎月行っている病院の先生に相談したら、「太ももの筋肉がまだ発達していないから歩けないのです。滑り台が家にあったら、下からハイハイで上らせてください。無ければ、布団を斜めに積んで、そこを上らせてください。これを毎日繰り返しする事で、太ももの筋肉が発達して、歩けるようになりますよ。」と指導してくださいました。

ちょうど我が家には、お友達から頂戴した滑り台があったので、下からハイハイで上らせる練習を毎日しました。

でも、だからと言って、すぐに歩けるものでもありませんでした。

娘だって、滑り台を上るのが嫌な時だってあるのに、私の焦る気持ちが優先して、嫌がって、泣く娘に無理やり「滑り台上り」をさせたりしていました。

きっと、私も必死だったし、怖い顔してさせていたんだろうと思います。
お母さんは、怒るし、滑り台は上りたくないし、僅か1歳ちょっとの娘にとって、辛い日々を送らせていました。
本当にかわいそうな事をしたな~。

同じくらいの月齢の子が、みんな歩けるのに、なんで娘だけ歩けないのよ!と焦りまくって、もやもやもやもやしていた頃。
娘の人格よりも、発達を望み、優先させていた頃。
のんびり、ゆっくりの成長をまだまだ受け入れられなかった頃です。

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ハイハイ期からつかまり立ち期

腰がなかなか安定せずに、お座りがひとりで出来るようになるまで、随分時間がかかりました。

ですが、お座りが出来たのと同時くらいに、ハイハイをするようになりました。

これも、やはり体重が軽かったからのようです。

首の据わりも、ひとり座りも、標準の月例から大幅に遅れてだったのに、ハイハイだけは、ちょぴりの遅れだけ。

これは、逆に驚きでした。

親バカですよね、「やった~。これで、もう心配無い!ここで、一気に挽回だ。これからは、他の子と同じように発達していくに違いない!」と、勝手に確信していました。

けれど・・・・。

現実は、厳しかった~。

つかまり立ちが出来るようになったのは、もうすぐ10ヶ月(6795g)になろうとする頃でした。

ハイハイから、つかまり立ちが、急にできるようになったのは、娘にすれば、体重の増加が、今まで1ヶ月で150g程度だったのが、200g平均の増加になっていたからでしょうか。

京都市では、8ヶ月健診が保険所であるのですが、身長64.3cm・体重6400gという事で、1ヵ月後に再検診と言われました。

この時、股関節に異常があると言われ、かなり心配しました。

毎月、心臓で健診を受けている病院で、股関節の検査をお願いしてしていただきましたが、異常なし。

やれやれ。

この頃は、まだ女の子だし、ちっちゃい方が、かわいくて良いかな~なんて、のんきな事を思っていました。

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寝返りとおすわり

なかなか首のすわらなかった娘。

スタートラインが遅れているのですから、寝返りもお座りもやはり遅かった。

それでも、体重が軽かったので、6ヶ月半で寝返りする事ができました。

この頃の体重が、6140g。
おっぱいは、しっかり出るんですが、飲んで吐いてを繰り返し、一向に体重が増えませんでした。

抱っこする方にとっては、軽くて楽チンだったのですが・・・。

お座りもなかなか出来ませんでした。
体重が少ないので、腰も安定しません。
ぐにゃぐにゃのふにゃふにゃ。

背もたれにクッションなどを置いて、座らそうとするのですが、そのままズリズリと倒れていくか、前へつっぷすか。

出来ない事は仕方ありませんので、あまり無理はさせませんでした。

それでも、離乳食が始まっていましたので、ラックで体を固定して、食べさせていました。

親は、欲なものです。

首が据わったら、楽になったと喜び、早くお座りが出来るようになってくれれば、もっと楽になるのに・・・と思って、なんとか座らそうと、悪戦苦闘。

今から思えば、何も無理やりさせなくったて、時間はかかっても、いずれ出来るようになったのに。

初めての子供で、育児書と姑さんの言葉で、必死になっていました。

きっと、娘はいい迷惑をしていたんだと思います。

ひとりで、安定したお座りが出来るようになったのは、8ヶ月半になった頃でした。

体重は、6410g。

1ヶ月、150gのペースでの増加です。

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首の座り

赤ちゃんの発達で一番最初に確認できる事が、首すわり。
首がすわると、抱っこをしたり、お風呂に入れたり、日常生活で子供に触れる時に、かなり楽になります。

娘は、2650gと小さめで生まれ、一般的に首がすわる目安の3ヶ月の時は、4905g発育曲線の最低ライン。
いっこうにすわる気配がありませんでした。

体が小さく、痩せているから、首のすわりが遅いのかな~くらいに思っていました。

4ヶ月に入って、ようやく安定してきました。
完全にすわったと確認できたのは、4ヶ月の半ばを過ぎていました。
体重もやっと、5315g(2ヶ月半くらいの女の子の標準体重)と、なりました。

今から思えば、この首のすわりの遅かったのも、異常のひとつだったのでしょう。

首のすわりの遅れは、様々な身体発達の遅れの前兆だったようです。

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心に響いたママ友の言葉

1年遅れで幼稚園に入園した娘。
娘は、何の心配も無く、マイペースで、自分の思うように一日を過ごしていました。
それを見ていて、イライラが募るのは、母の私。

しなくても良いのに、つい・・・。
同年齢の子と、娘とを 何かにつけて比べてしまいます。

そして、「あ~、まだこんな事もうちの子は出来ない。」なんて、勝手に落ち込んだりして。

娘の通っていた幼稚園は、とても小規模な幼稚園。
娘と同じ年の子は、25人ほどしかいません。
バスで通園してくる子もいますが、親が送り迎えの子の方が、多かったので、子ども同士よりも、お母さん同士の方が仲良くなりました。

娘の遅れを認知しながらも、まだまだ受け入れられていなかった私は、いつも、仲良くなったママ友に、「うちの子は、まだこんな事も出来なくって・・・。どうしたらいいかしら?」という愚痴とも相談ともつかない事を言っていました。

きっと、いつもいつも私から、そんな言葉を聞かされていたママ友は、嫌気がさしていたのでしょう。

いつもなら、「大丈夫よ。心配無いって!出来るようになるから。」と、励ましてくれていたのに、ある日。

「妖精ちゃんのママは、子どもに対して、課しているハードルが高すぎるんじゃない?お父さんもお母さんも子どもの頃から何でも出来た子だったんじゃない?もう少し、妖精ちゃんへのハードルを下げてあげたら?そして、出来るようになったら、少しずつ上げていってあげたら良いのに。」と、言われました。

この時、初めてハッとしたのです。
私って、すごく嫌なお母さんに映ってたんやなって。
この時から、娘に対して、追い上げるような事をしなくなりました。

ママ友の私へのこの言葉。
きっと、彼女はそんな事を言った事すら忘れているだろうけれど、私には今でも忘れられない、とても大切な事を教えてくれた言葉なのです。

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みんないいこだよ

娘の発達が遅かったので、何かにすがりたかった私。

ベネッセコーポレーションの「こどもちゃれんじ」を毎月とっていました。

毎月送られてくる教材。

同じくらいの子は、もうこんな事が出来るのか?
と、ショックを受けました。

でも、娘は、毎月喜んでビデオを見たり、教材で遊んだり。
決して、理解しているようには思えませんでしたが、母の自己満足で、幼稚園の間、取り続けました。

この月間教材に、親のための冊子が入っていました。
その、臨時創刊号に娘の事を寄稿し、採用されました。

その時の記事を紹介します。

4月から幼稚園の年中に通い始めた娘。
ある朝、ぽつりとこう言いました。
「幼稚園に行きたくない」
理由を聞くと、
「きのう、ケンカしたから・・・」
こんなときは、どんなおまじないが効くのかな・・・。
少し考えたあとで、私はとても当たり前のことを娘に言って聞かせていました。
「朝、会ったら『おはよう』って言って、それから『ごめんね』って言えばいいんだよ。」
その日、娘は、幼稚園から元気に帰って来ました。
「『ごめんね』が言えた?」と、私。
「うん、言う前は心臓がバクバクして、言ってるときは、ドキドキした。」
「それで、言ったあとは、どうやった?」
娘は、ちょっとはにかんでからこう答えました。
「ラブラブって音かな・・・」
「ごめんね」。
たった4文字の言葉なのに、誰かに言う時はとても勇気がいる。
それが、今日よ~くわかったんだね。
最後の「ラブラブ」っていう心臓の音、ずっと忘れないでね。

『みんないいこだよ。2000』より

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対人関係の悩み(幼稚園編)

京都市では、保育園へは0歳児さんから行く事ができます。

幼稚園へは、3歳児から。

私は、就労していませんので、妖精ちゃんを幼稚園へ預けました。

ほとんどのお子さんは、3年保育で3歳から幼稚園へ行かれるのですが、妖精ちゃんは、トイレトレーニングもまだ完了していなかった事もあり、1年遅れで入園しました。

少人数の幼稚園でしたので、1学年1クラス。

人数も28名。

内、妖精ちゃんを含む、9名が2年保育で、後から入りました。

幼稚園では、歌を歌ったり、折り紙をしたり、体を動かしたり。

それ以外のときは、みんなで仲良く、いろんな事をして遊んでいました。

この遊びの中で、妖精ちゃんはいつも誰かとトラブルになっていました。

集団での生活が理解できないという事もあり、自分の思い通りにならないと、お友達を押したり、叩いたり、噛み付いたり・・・。

家では、そんな事しなかったのに・・・・。

お迎えの時に先生からこの事を聞かされた時は、かなりショックでした。

お友達に対して、“手を出す”事の理由を一生懸命考えました。

一番の理由は、言葉で気持ちが上手に伝えられず、言葉より先に手が出ること。

自分の気持ちを相手に、言葉で伝えられるようにするように、毎日毎日教え続けました。

わざわざ、お友達母子を家に招いて一緒に遊んでもらい、様子をみました。

そして、遊びの流れから、お友達に手を出した時の状況を見て、その場で妖精ちゃんに教えました。

子どもって、後から「あの時は、どうだった、こうだった」と注意しても、そのときの事を大人のように思い出せませんし、何の事を叱られているのかも分かりません。

その場、その場で注意する事を続ける事で、だんだんとお友達に手を出すという事は減っていきました。

妖精ちゃんが、お友達に手を出すという行為に対して、一番のストレスだったのは、相手のお母さんに対してです。

だって、誰だって可愛い自分の子どもが可愛いに決まっています。

その子どもに怪我こそさせなくても、手を出されて良い気はしません。

幼稚園で“手を出した”と聞いた時。

お家へ遊びに来てもらったときに“手を出した”時など、一生懸命謝りました。

もちろん、妖精ちゃんも一緒にです。

不思議なもので、誠意を持って接する事で、どのお母さんも「そんなん、子どものことやん。うちの子だって、いつもすぐ手を出すし、何も妖精ちゃんだけがしてる事じゃないよ。」と、優しく声を掛けてくださいました。

何よりも嬉しかったのは、妖精ちゃんが“手を出た”時に、相手のお母さんが、そのお子さんに向かって、「あんた、今なんで妖精ちゃんが、あんたの事叩いたか分かるか?あんたが、そんな意地悪するからやろ。仲良く遊びなさい。」と、自分の子供が叩かれたにも係わらず、妖精ちゃんを責めるどころか、庇ってくださるようになったのです。

子どものけんかに親が・・・と、言いますが、やはりまだ小さな幼稚園児の事、親の協力も、子どもどうしの人間関係にも大きく影響すると思います。

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保育年数

娘は、いろんな面で遅れていたので、みんなより1年遅れて、2年保育で幼稚園へ入園しました。

幼稚園の先生には、遅れている子ほど、集団で同年齢の子と過ごす事で、どんどんと成長・発達します。
妖精ちゃんも、2年保育で、これだけの成長をしたのですから、3年保育だったら、今以上にもっと成長出来たでしょう。
私達も、もっとお力になれたかと思うと、2年だけだったのが、残念でなりません。
と、卒園時に言っていただきました。

娘の障がいの事は、入園時も卒園時もまだ分かっていませんでした。
でも、長年多くの子供達を指導されてきた先生方は、娘の遅れをすぐに分かってくださいました。
そして、いつも配慮と共に、しっかりとした指導を娘と保護者に対して、してくださいました。

入園を遅らせたのは、こちらの考え。

在園の2年で、それは驚くほど成長しました。

親の私が、幼稚園(集団生活)に対して、少し考え違いしていたことがあります。

それは、集団生活が出来るようになってから、集団に入れなければならないと思っていた事。
大勢の子どもの中の一人として、自分の事は何でも自分で出来なければいけないんだと思っていました。

でも、娘を通わせた幼稚園では、先生の肌理細やかな指導は、もちろんの事、お友達と一緒に過ごす事で、どんどんと成長していくことが、手に取るように感じられました。

本当に、2年保育か3年保育かで迷った時に、幼稚園の先生方のお薦めを受けて、3年保育にしておけば良かったと感じました。

発達・発育に問題の無い子ほど、保育期間が短くても、大丈夫。
けれど、娘のように、何か問題を抱えている子ほど、その子を理解し、指導していただける機関や施設に、早い段階で出会える事は、子どもの成長に、とても大きな後押しをしてくれると思いました。

ですが、1年のブランクが、娘の成長に大きく影響しているとは、決して思っていません。
それは、公園へ天気の良い日は出かけたり、地域で催されている子育てサークルへ行ったり、音楽教室へ行ったりと、娘のペースに合わせて、行動していましたので。

2年保育でなく、3年保育にした方が、娘の発達に良かったかもしれないと、思うのは、それだけ、素晴らしい幼稚園に娘を通わす事が出来たからでしょう。

ちなみに、京都では母親が働いていない場合は、保育園へ行く事は、かなり難しい。
もし、私が仕事を持ち、理解ある保育園へ通っていたら、保育年数も増えたわけで、ひょっとしたら、もっと成長していたかな?と、欲の深い事を思ったりもして。

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トイレトレーニング

子供の発達段階で、訪れる関門が、「オムツ外し」。

早い子で、歩けるようになった1歳くらいからだそうですが、歩くのが1歳8ヶ月と遅かった娘は、2歳になっても当然外れていませんでした。

同居する義母(主人の母)が、何気なく言った言葉が重く私にのしかかっていたのです。

「うちの○○(主人の名前)は、1歳の時には、オムツ外れてたのに」って。

この「のに」っていう表現には、「この子は、遅いね」が含まれていると思い込みました。

暖かくなった2歳5ヶ月くらいから、「トイレトレーニング」を始めましたが、なかなか上手くいきません。

イライラが募ります。

お漏らしした娘のお尻をぺチンと叩いたり。
「おしっこ出るのが、分からへんの?」と僅か2歳半の子に言ってみたり。

私が、イライラしたり、焦ったりすればするほど、上手くいきませんでした。

親子関係も、どんどん悪くなるし・・・。

それでも、義母の手前、「早く外さないと!」という思いでいっぱいでした。

今から思えば、義母は何気なく言った事で、私や娘を責めて言った事では、なかったのに、娘に発達・発育に遅れがあった事で、どこかで追いつきたいという思いで一杯だったのです。

何も、オムツが外れたからと言って、それが子供の成長の終着でもないのに。
この頃は、必死でした。

3歳になっても、成功しませんでした。
3歳4ヶ月で、幼稚園へ入園予定でしたが、先生に迷惑をかけるのは、申し訳ないと言う事で、3年保育を断念し、2年保育に決めました。

幼稚園の先生は、「オムツをはめて入園してくる子も、そのうち外れますから大丈夫ですよ。」と言ってくださいましたが、決心できませんでした。
3歳過ぎても、全くオムツが外れない事に、かなり焦った私は、小児科の先生に相談しました。
「しっかりと歩くようになることで、膀胱も鍛えられ、脳への指令もうまく伝達できるようになるのです。
歩くのが遅い子は、それだけオムツが外れるのが遅くなっても仕方ありません。
気にする事は、ありませんよ。
必ずはずれますから!」
と、励ましてくださいました。

3歳半になっても、まだ失敗が多く完全に外れたのは、3歳8ヶ月になっていました。

それでも、不思議な子で、「うんち」だけは、その1年前の2歳8ヶ月で言えていました。
私の焦る気持ちの中で、せめてもの救いでした。

やっとなんとかおむつも外れて喜んだのもつかの間、これから先、お漏らしに悩まされる日々が・・・。

ウィリアムズの特徴として、緊張したり、不安を感じると「頻尿」となることがあるのですが、この頃は、まだ知らなかったのです。

オムツだって、何もみんなと同じように外れなくったって、いつか本当に外れる日がくるのに。
この頃は、そんなことも分からずに、娘には辛い思いをさせていました。

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女のこの遊びって?

娘は、誰がなんと言おうとも女の子です。

私を含め、周辺の大人は、先入観で、女の子は「お人形遊び」をすると思い込んでいました。

お誕生日のお祝いや、クリスマスプレゼントなど、いただくものは、お人形が多かったのです。

今まで、我が家にやってきたお人形は、リカちゃん人形3個。

シルバニアファミリーの赤いお家セット。

ぽぽちゃん。

ぬいぐるみ各種。

などなど、初めての子と言う事もあって、それは沢山のお人形でした。

1歳くらいの頃は、まだちっちゃいからかな? なんて思っていましたが、2歳になっても、3歳になっても、4歳になっても同じ事。

全くお人形に見向きをしないのです。

見向きをしないどころか、目に指を突っ込む。

手足をもぐ。

洋服を脱がす。

18禁映画さながらの恐ろしい仕打ち。

その都度、そんな事したら、ダメよ。

とか、痛い痛いって言ってるよ。

なんて言っていたけれど、全く解せず。

分解しては、元に戻せと、持ってくるだけ。

私は、想像していた女の子の遊びを全くしない娘にかなりのショックを覚えました。

ただ、分解するだけのお人形は、綺麗に箱に片付けて、押入れに片付けました。

かと言って、車や電車に興味があるわけでもなく。

これも、個性と受け入れられるまで、かなりの時間がかかりました。

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妖精ちゃんのおともだち

娘は、私の理想とする女の子の遊び(お人形・ままごと)を年長さんになるくらいまで、全くしませんでした。

ですが、お人形やままごと道具は使用しなくても、「ごっこあそび」は、それなりにしていました。

では、何で?

我が家には、娘が大好きなお友達が居たのです。
そのお友達の名は、「じきおちゃん」
水色の掃除機です。
娘は、音過敏症で、掃除機のモーター音が嫌なくせに、「掃除機」が大好き。

私が、掃除機を使い出すと、耳を塞ぎながらも、「じきおちゃ~ん」と呼びながら、付いて回っていました。

掃除機の吸い込み口が、お顔。
ホースが首。
モーター部分が、体。
丸いタイヤが、足。

隅っこを掃除しようと、お顔を外そうものなら、「あか~ん。そんな可愛そうな事したら~。」と、大騒ぎ。

何かちょっと大きなモノを吸い込んで、グゥィ~~~ンと、言う音が聞こえようものなら、「何食べさせたん?苦しいって言ってるやん。お腹こわす~。」と、大騒ぎ。

娘には、掃除機を擬人化させて、お友達として話しかけていたのです。

それに、愛読書もありました。
それは・・・。

掃除機のカタログ。

スーパーの家電売り場や電器屋さんに行くと、必ず掃除機の売っているところへ行き、何分でも眺め、最後にはカタログをあるだけの種類もらって帰るのです。

家では、掃除機のカタログを広げ、色や形の違いに、大興奮。
そして、家族に「どのじきおちゃんが、かわいい?」だの、「わたしは、このじきおちゃんと遊びたい」だの、じきおちゃんの話題に花を咲かせていました。

小さな子供が大好きなおもちゃとは、とても思えない、じきおちゃん。
でも、娘にはとっても大切なお友達だったようです。

今でも、もちろんじきおちゃんの事大好きです。

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公園デビュー

小さい間、遊びの中から多くの事を学んでいく事は、よ~く分かっているつもりでした。

街中の家ですので、子供を安全に遊ばす事の出来る場所といえば、公園です。

広い公園で、のびのびと遊ばせてやったら、娘も喜ぶのは、分かっていました。

でも、発達のすべてにゆっくりだった娘を連れて、公園へ行く事にためらいがあり、なかなか行けませんでした。

近くには、企業の大きな社宅があったり、巨大なマンションがあったりと、娘と同年代の子供は、とてもたくさんいました。

ですが、なかなか足が向きません。

初めて、娘を公園へ連れて行ったのは・・・。

幼稚園の入園を1年送らせると決めてからです。

やっと公園デビュー。

公園には、娘と同じ年の子は、いませんでした。
みんな、幼稚園へ行っています。

一緒に遊ぶお友達もお母さんも、学年が違います。
この、学年が違うと言う事が、どれほど私の気持ちを楽にしてくれた事か・・・。

だって、今、遅れていたって、学校の学年が違えば、だ~れも知らない事だもん。

主に、1学年下のお友達と遊んでいました。
同じくらいの子と遊ぶ事で、刺激を受け、少しは、いろんな事が出来るようになるのではないかな~と思ってのことです。

ですが、娘を遊ばせる事は、とても大変な事でした。

お砂場で、ままごと遊びをしていても、砂で作ったプリンを本当に口へ持っていったり。

スコップで、掘った砂をお友達にかけたり。

他の子が持っている物を取り上げたり。

遊具も、なかなか交代するという事が出来なかったり。

自分が気に入らないと、お友達を押したり。

ちょっと私が、他のお母さんとおしゃべりしている間に、公園にある池に入って行って、他のお母さんが教えにきてくれたり。
この池ポチャの時は、びっくりしました。
だって、雪のちらつくとても寒い日だったんですもの。
娘の様子から、わりと長い時間池の中にいたようです。

他の同年齢の子供達が、遊ぶ様子を見ていても、はっきりと違いが分かりました。

親の私は、子供にというより、それぞれのお母さんに気を使って、
娘に対して、「ダメ!ダメ!」の連呼。

お友達やお母さん達には、「ごめんね。ごめんね。」の連呼。

それでも、公園で知り合ったお母さん達とも、大きなトラブルになる事もなく、「子供同士の事」として、とても優しく、私達親子を受け入れてくれていました。

天気や体の状態に合わせて、
毎日毎日同じ時間に、同じ事をして、同じお友達と、遊んでいました。

そこでは、様々な情報も得る事ができました。
娘を通して、私のお友達も出来、おしゃべりしているだけで、ストレスが発散されていました。

ちょっと遅めの公園デビューでしたが、毎日同じ時間に通う事で、何度か顔を合わす方とは、あいさつも交わすようになり、だんだんとお友達も出来、入園までの有意義な時間を過ごす事ができました。

このとき、仲良くしてもらったお母さん達とは、今でも仲良くさせてもらっています。

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摂食障害

私が娘を産んだ病院は、産後2日目から母子同室となりました。
朝から、母乳の与え方を教えてもらい、初めての授乳。
たっぷりと母乳も出て、準備万端。
そして、娘が部屋へと連れて来られました。
私も、娘も初めてとあって、お互いにへたくそ同士。

娘は、上手におっぱいを飲むことが出来ません。

上手く吸えない娘。

必要以上に溢れ出る母乳。

娘は、おっぱいでおぼれる寸前。

小さく生まれたから、力が弱いのかと思っていました。
休み休み飲んでいました。
飲んでも、すぐに吐く。
そして、おなかが空くのか、泣きます。

助産婦さんに習った授乳方法は、片方10分程度。

娘は、10分も吸い続けられませんでした。

それでも、「練習すれば、上手に飲めるようになるから」と言われ、慣れない母子は、一生懸命授乳の練習をしていました。

おっぱいが上手に飲めない理由。
それは、後で分かった事ですが、摂食障害からだったのです。

この日から、一日中、娘におっぱいを飲ませているような生活となりました。

飲んでは、吐く。
吐いては、飲む。

この繰り返し・・・。

この摂食障害が治ったのは、4歳になる頃でした。

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睡眠障害

赤ちゃんって、普通よ~く寝るもんだと思っていました。
「おっぱい飲んで、ねんねして~」って歌うように・・・。

おなかもいっぱいなはずなのに、全然寝ないんです。

抱っこして、ゆ~らゆら揺すってやると、すやすや。

もう、寝たかな~と思って、お布団に下ろすと、「フギャ~!」

一日中コレの繰り返しでした。

朝も、昼も、夜も夜中も。

もう勘弁してよ!
何で泣くのよ!
何が気に入らないのよ!

一度だけやってしまいました。
疲れもピークに達していた私。
ある寒い日の夜中。

「抱っこしても、おっぱい飲ましても、何をしても気にいらんのやったら、もう知らん!」と、生まれてまだ少ししか経っていない娘を、お布団の上に投げ落としたのです。

娘は、より一層火が着いたように泣きました。
私も泣いていました。

主人が、そ~と娘を抱き上げて、「あんまり、お母さんを困らせたらあかんよ。よしよし・・・」と静かに言い、「代わったるから、あんたもちょっと寝な。」と。

心の中で、娘と主人に「ごめん、ごめん」と謝りながら寝させてもらいました。

この日以来、二度と娘を投げたりなんてしなくなりました。

そして、私達夫婦が見つけた、良い方法!

二人で寝ない娘を朝まで交代であやしながら、なんとか寝かせて、朝方になったら、同居する主人の両親の部屋の前に、そ~っと毛布で包んで「捨て子」をしてくるのです。

「捨て子」の気配を察した義母が、娘を拾い上げ、今度は、私達若夫婦に代わって、抱っこして娘を寝させてくれたのでした。

後になって分かった事ですが、夜鳴きだと思っていましたが、そんな甘いものではありませんでした。
ちゃんと睡眠が取れない睡眠障害だったのです。

この睡眠障害は、6歳になる頃まで続きました。

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妖精ちゃんの誕生

12年前の12月、私の初めての子供、娘が誕生しました。
2650gと、少しちっちゃめ。
予定日よりも、1週間早く、朝9時の破水からお産が始まりました。
この日は、お友達とランチに行く約束をしていたのですが、もちろんキャンセル。
すぐに、病院へと急ぎ、そのまま入院。
お医者様は、「明日になるでしょう」とおっしゃていましたが、思いのほか早くお産は進みました。
「まだまだですよ。」の言葉に、主人は一旦自宅へ。
その間にも、お産は進み、看護婦さんが、産道の開き具合を診に来られたときには、すでに頭が・・・。
大急ぎで分娩台へと行きました。
お医者様がまだ来られないからと、出ようとする頭を手で押さえてらっしゃいます。
「いきんじゃダメ!」と言われても、勝手にいきんでしまいます。
「もうダメ~~~」と思った時に、先生が到着!
助産婦さんの指示に従って、無事生まれて来てくれました。
初産のわりにとても安産。
でも、生まれた娘を見たとき、「えっ?赤ちゃんってこんなに不細工なの?」と正直思いました。
縮れっ毛で、顔色もあまりよくなく、目もはれぼったく、鼻も低く、唇もぶ厚め。
この頃、テレビのコメンテーターとして出演されていた「和田勉」さんにそっくり!
この時は、まだ娘にハンディキャップがあるなんて、知る由も無かったのです。

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