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2008年6月

理解ある小学校☆その2

小学校の1年と2年は、クラス替えもなく、担任の先生も持ち上がりと言う事で、大きなトラブルも無く、楽しい小学校生活を送らせていただいていました。

娘の苦手とする、算数の教科については、1年生の時は、学校側の配慮で、個別指導を受け、2年生の1学期は、加配の先生が入ってくださったりで、なんとか乗り切れたのですが、2学期以降は、自分の力で勉強しなくてはなりませんでした。

先生も、それをよく分かってくださっていました。

同じクラスに、アスペルガーの男の子(A君)が居ました。
彼は、ちょっと人間関係が苦手でしたが、算数にずば抜けた才能を持っていました。

担任の先生は、加配の先生が抜けられた後、このA君と娘とを算数の時間ペアにして、学習を進められていたのです。

人間関係が上手く構築できない男の子は、算数の苦手な娘に算数を教えると言う事で、人との関わり方を学ぶ事となり、
また、娘は、みんなが学習している間も、分からない所は、そのA君に個別に教えてもらっていました。

A君は、得意な算数を娘に教えると言う事で、自分が必要とされる事に自信を付け、クラスでも「算数博士」と一目置かれる存在となりました。

娘も、A君のフォローのお陰で、なんとか算数の学習についていっていました。

いよいよ3年生。
クラス替えと担任交代があります。
2クラスですので、クラスの半分の児童が変わります。

1年生、2年生と持ち上がってくださった先生が、転勤される事になり、とても不安に思っていましたが、驚くような配慮をしていってくださいました。

算数博士のA君と娘を同じクラスに。
そして、幼稚園の頃から何かと娘をフォローしてくれていた女の子を同じクラスに。
そして、どうしても気の合わない(いつもトラブルの原因となっていた子)とは、別のクラスに。

そして、ベテランの女性の先生が担任となってくださったのです。
3年生と4年生の2年間は、このベテランの先生から、人間として多くの事を学び、育てていただく事となりました。

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理解ある小学校

娘は、網の目をくぐるかのように、みんなと同じように普通学級に就学しました。

この時点で、まだ発達検査などは受けた事がありませんでした。
幼稚園の時も、就学児検診でも、何も言われませんでした。

ですが、親は、他の同年齢の子供さんと、何か・・・どこか・・・
違うと思っていました。

読み書きは、親が付きっきりで、教えました。

ですが、数字がどうしても苦手。
計算も苦手。
数の概念に、とてもとても乏しいようでした。

そこで、入学してすぐに、先生にお願いにあがりました。

「算数だけ、個別指導をしてもらえないか・・・」と。
校長先生と相談した結果、個別指導をしていただける事になりました。

入学時、育成学級には、3人の児童が在籍していました。
クラスとして、表向きは1クラスですが、「情緒障害」・「知的障害」・「身体障害」で、教師が配属されます。

この時、「情緒障害」と「知的障害」の児童さんでしたので、2名の先生がおられました。

この3名の児童さんは、軽度という事、交流学級へ授業を受けに行く事もあると言う事で、時間割を調整する事で、1名の先生が、娘の算数の先生として、個別指導してくださる事になりました。

担任の先生も、クラスのお友達に、娘が算数の時間、別の部屋で勉強をする事などきちんとお話してくださいました。

次が算数になると、休み時間のうちに、教室を移動することの苦手な娘を「個別教室」へと送り届けてくれていました。

この個別指導を受けた1年は、娘の算数理解にとても大きな成果を与えてくれました。

最初は、数字を書く事から始まり、1~10までの数字が分かるようになったら、数字を順に繋げ、絵を仕上げる学習。
次に、タイルを使って、足し算。
増える事が理解出来たら、引き算。
これが出来たら、数字での計算。
数字の増減が理解出来れば、算数は応用となります。
1年生の時点で、これだけでも理解できていれば、優秀だと思いました。

2年生になり、1年生の時と同じように、個別指導をお願いいたしました。
しかし、この年は、育成学級への児童が入学・転入で、倍以上になり、教師の数は変わらないので、無理だと言われました。

教科の個別指導は、現状では無理なので、娘にも育成学級へ移籍するか、個別指導はあきらめるかの選択を迫られました。

ですが、ここで学校から思わぬ提案を受けました。
娘が、2年生になった年に、京都市では、1~2年生対象に、30人以上のクラスには、1学期間だけ、補助の先生が1名、加配されることになりました。
この加配の先生を、1年生時に、算数の個別指導をしてくださっていた先生にしてくださると言うものでした。
ただし、クラスへの加配ですので、娘のためだけの指導と言うわけにはいかないけれど、1年間一緒に勉強してきたので、それなりの配慮が可能だろうという事でした。

クラス替えもありません。
娘の学校での環境を大きく変えるよりも、学校側の申し入れをありがたく受け入れる事にしました。
もちろん、担任の先生も、1年生から持ち上がりにしてくださいました。

娘の成長ために、多くの学校の先生が、尽力してくださいました。

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生きる力

娘が、小学校へ入学してしばらくした、ある日のこと。

朝は、とても良い天気だったのに、お昼前から雨。
妖精ちゃんに、傘を持たせていませんでした。

都合で、お迎えにも行けなかった母。

家で、待っていたら「ただいま~」と元気な娘の声。

あれあれあれ?
娘が、全く濡れていません。

「どうしたん?」

「傘、借りて帰ってきた。」

「誰に?」

「Dくんのママに」

慌てて電話しました。

「傘、貸してくれてありがとう。お迎えに行けなかったから、助かったわ~。」とお礼を言いました。

このママとは、娘が幼稚園の頃から仲良くしてもらっていました。
双子ちゃんのママなんです。
小学校は、2クラスしかありませんので、100パーセント、どちらかと同じクラスになります。
分からない事など、いろいろと教えてもらったりして、とても助けてもらっていました。

私が、娘の事をとても心配していることも、よ~く知ってくれています。

そんな、Dママ。
「ママは、妖精ちゃんの事、いつもいつも心配しているけど、大丈夫だよ。しっかりしてるもん。今日も、雨降っているから、子供達に傘持って行ったら、妖精ちゃんが居てね、私に、『おばちゃん、傘持って来たん?DちゃんとHちゃんの分持って来た?私、傘無いねん。お母さんも来てくれへんし。1本傘貸して。おばちゃんが、Dちゃんと一緒に帰ったら、傘余るやろ~。』って。ほんとしっかりしてるわよ。計算がちょっとくらい出来なくったて、だいじょうぶ!ちゃんと生きていけるわよ。」
と、教えてくれました。

なんだかとっても嬉しくなりました。

人懐っこくって誰にでも話しに行く娘ですが、ちゃんと、自分を守るための能力もあったようです。

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相貌認知

ウィリアムズ症候群の特徴として、「人懐っこさ」があります。

この特徴に、娘は随分助けられてきました。

とても愛嬌があって、いつもニコニコ。
そして、お話が好きなので、誰にでもごあいさつ。

お年寄りや、おばちゃんとは、そこから、いろんな会話を繰り広げていました。

年齢が上がると共に、「どこの誰」まで、聞き出したりして。

そして、特技ともいえるのが、一度会ってお話した方の事は、ちゃんと覚えていて、2度目に会っても、いつどこでお会いした方かをだいたい覚えているのです。

幼稚園の間は、だいたい親子でセットで行動していましたので、私も一緒に、どこの誰だか覚えていたのですが。

小学校へ行くようになってからは、参観日の度に、「誰のお母さん?誰のお父さん?」と自分からお話に行っていました。

私が、あちらの事を知らなくても、娘が、「誰々ちゃんのお母さん」と教えてくれていました。

いろんなところで、見知らぬおばちゃんと気安く話すので、後から「誰?」と聞くと、「誰々さんのママ」と、他学年のお子さんの名前まで出てくる始末。

これはもう、特徴というより、娘の特技かもしれません。

この特技を生かせる職場、接客業などにつければ良いのにな~と思っています。

ですが、娘もお年頃になって、誰にでも気易く声をかけると言う事が、いけない事だとも教えていかなければなりません。
今の世の中、どこに危険が潜んでいるか、はたまた、悪用されるかもしれません。

この「人懐っこさ」が、娘の将来に良いように働いてくれる事を祈るばかりです。

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歯科矯正☆その2

52500円もの検査費を払った結果は・・・。

H14年9月18日に説明がありました。
院長室に通され、娘のレントゲン写真を前に、詳細な説明を受けました。
このレントゲンがすごい!
顎の位置の左右のズレの角度・上顎と下顎のズレの角度・噛み合せのズレの角度・口腔内の様子などなど。
娘の上下左右正面のレントゲン写真から、詳細に割り出してあります。
そして、この何度かのズレを修正するのに、どのようにして、どれくらいの時間がかかるかなどを 娘の噛み合せの模型(わざわざ製作されていました)などを使って1時間ほどの時間をかけて説明してくださいました。
説明は、承諾書があり、それに沿った形で進められました。
14番まであり、その一つずつに先生がチェックをされます。
すべて聞き終わった後に、サインをします。
これらの事は、すべてテープに録音され、その録音テープも証拠として手渡してくださいました。

治療ですが、娘の場合、まず反対咬合を治し、その後欠損歯の治療となりますので、2期に分けて計画されました。
すべての終了は、娘が16歳~18歳くらいになるだろうという事です。

現在、予定より早く1期目が終了し、現在2期目の治療が進んでいます。

治療費は、1期目が315000円。
2期目が525000円。
それぞれの治療に入る前に検査費用52500円。

さ~て、頭を悩ませたのが支払い方法です。
支払いは、1期ごとに払うのですが、お医者様から提案された支払い方法は、10回・12回・15回・20回・24回・30回とありました。
分割ですが、315000円に利息が一切付く事はありません。
何回に分けても、1回に支払う金額が均等に割られるだけです。
矯正費用を積み立てしてはいましたが、いろいろ考えました。
説明の中で、「患者側の都合で、治療を中断した場合、支払われた費用は、一切返還しない。ただし、未払い分は請求しない。」ということでした。
ハンディキャップを抱える娘の事です、長い治療計画の中で、どんな事が起こるかわかりません。
そこで、もしm、途中で断念せざるを得なくなっても、損をしないように、30回払いを選択しました。

現在、2期目に入っていますが、2期目も同じ方法で、50回払いにしています。

矯正歯科の費用については、お医者様によって様々あるようです。

こちらの矯正歯科に決めるまでに、いろいろリサーチしました。
1回ずつ支払う形やこの矯正歯科のように、計画を立ててそれに基づき治療費を決められる形。

私が、後者に決めた理由として、いくら歯を矯正しても、人間は、どんどん元の形に戻ろうとする力が働くので、いったん矯正が完了したように思えてもまた、ゆがんでくる場合がある。
そういった場合も、すべて保障してくださるというのです。
この費用以外に一切の加算はしない、ということでした。

1回ずつ、治療に応じた費用を払ってらっしゃる方も多いのですが、アフターケアや治療費の予算が立てにくいというのも、高額だけに躊躇してしまいました。

また、こちらの矯正歯科の治療実績も選択した理由のひとつです。

矯正費用としては、今のところ945000円ですが、欠損歯の治療は、別途かかります。
これにも頭を悩ませています。
インプラントにするならば・・・・。
あ~~~、考えただけでも恐ろしい!

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歯科矯正☆その1

親の不注意で、虫歯にさせられた娘の妖精ちゃん。
いろんなハプニングを起こしながらも、なんとか無事に治療は終了しました。

ですが、この時に、重大な事実が判明しました。

虫歯治療のために、口腔内のレントゲンを撮影してもらい、永久歯の状態などを見てみらいました。

すると!
乳歯では、E。
永久歯では、第二小臼歯にあたる5番。
上顎は、左右両方。
下顎は、右。
3本の永久歯が無い事が分かりました。

他の歯は、ちゃんと根の所に、次に顔を出す準備をして、歯が形成されているのに、この3本の根元には、影も形も無いのです。

かなりショックでした。

実は、娘が生まれた時から、一緒に住むおじいちゃんの口元にそっくりだったので、ひょっとしたら反対咬合かもしれないからと、矯正用にお金を積み立てていました。

ひえ~!
やっぱり矯正しなくちゃいけないのか・・・。

虫歯治療終了後、先生と今後の相談をしました。
通っている歯医者さんは、矯正はされていません。
そこで、紹介状をいただき、矯正の専門医にかかる事にしました。

娘が、小学校1年生の時から、矯正歯科と治療歯科との連係プレーによりいろいろお世話になっています。

治療歯科へは、出来るだけ、歯を大切にして、乳歯を温存させていかなければなりませんので、定期的に歯にチェックに行っていました。

レントゲンは、すごいもんです。
下に歯が無くても、どんどんと根が吸収されていく様子がわかります。
根が吸収され、永久歯と生え変わるのですが、永久歯が無くても、歯の耐久年数はだいたい決まっているようです。

さてさて、歯の矯正ですが、私は歯並びが比較的良いので、した事がありません。
娘を連れて、初めて行ったのですが、治療をする前に、まず先生からのお話を聞かなければなりません。
一朝一夕に治るものでは無いので、相当の時間と経費が必要となる事や、覚悟も必要であるというものでした。
この事を理解して、初めて診察していただけます。

この日は、まずこれだけ・・・。

次の診療(検査)の予約をして帰りました。
このときに、次回の検査費用として、52500円を持って来るように言われました。

ど、どんな検査が待っているのでしょう!
あ~、積み立てしておいて良かった・・・。
歯の矯正には、高額が必要だと、噂には聞いていましたが、本当の事でした。

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虫歯治療

すべての発達の遅かった娘。
なのに、乳歯の生えるのが早くてびっくり!
下の前歯が生え始めたのが、6ヶ月になってすぐ。
8ヶ月の時点で、下4本上2本の歯が生えていました。

私の育て方が悪く、口移しでモノを食べさせていたので、私の虫歯菌が娘へもうつってしまっていたのです。
虫歯菌が親から子への口移しで感染する事を知ったのは、随分後でした。
初めて歯科医院へ行ったのが、5歳の時。
奥歯が虫歯になってしまって・・・。
この時すでに6歳臼歯も生えていました。
歯磨きは、小さなうちから、おしゃぶりの変わりに、乳幼児用の歯ブラシをおもちゃで持たせていたので、そんなに嫌がりはしませんでした。

でも、なにぶん親がずぼらなもので、ちゃんとした歯磨きは、夜だけしかしてやりませんでした。

歯医者通いは、そりゃ~大変でした。
まず、レントゲン。
一人でレントゲン室へ行かなければなりません。
何度かやり直してもらって、やっと成功する始末。

そして、治療してもらうために椅子に座るのですが、周りの治療してもらっている方の機械音をとても怖がりました。
お医者様は、一つづつ、これは水が出てくるホース。
これは、水を吸い取る、掃除機。
これは、痛いところを削る道具と説明してやってくださいました。

掃除機が大好きな娘は、細いホース状の掃除機に大興奮。
これで、治療が進んだようなものです。

削ってもらうのは、痛みもそんなにありませんでしたので、難なく進んだのですが、銀冠をかぶせるのに、型を取らなければなりません。
この型取りの素材が嫌で・・・。
娘は、食べ物でもベチャベチャしたものが大嫌い。
時間が経ったら、固まるからと説明しても、気持ち悪いから嫌の一点張り。
とうとう、「お母さん、あちらでお待ち下さい。」と席を離れるように言われました。
私が、席を離れてすぐに、「ふぎゃ~~~」と娘の絶叫する声が。
その後、歯科衛生士さんの、「いた~い!」の悲鳴が。
そうです。
娘は、型を取ってくださる歯科衛生師さんの手を噛んでいたのです。

もう、恥ずかしいような申し訳ないような・・・。

一週間後、銀冠が出来上がり、かぶせてもらうのですが、何度も、噛み合わせのチェックをしてくださいます。
その時は、おとなしくしていたのですが・・・。
何度も何度もチェックをしてもらっているうちに、嫌になってきたらしく、「もう、嫌だ!帰る~」と泣き出しました。
「これで最後だから」と、なだめすかして、辛抱させました。

先生が、ボンドを着けて、歯にかぶせようとされた瞬間、
ゴクン!
娘は、銀冠を飲み込んでしまったのです。

先生も歯科衛生士さんも私も、目が点。
当の娘は、さらっと「飲んでしもた!」

え~・・・。
恥ずかしいやら、悲しいやらで、泣きたくなったのは、親の私でした。

一週間前の悪夢が再びか?
と、思ったら、「もう一度前の型で作るから大丈夫ですよ」と言ってくださいました。

あ~よかった・・・。

歯科衛生士さんも、そう何度も噛まれたらたまりませんよね。

そして、また一週間後、今度は、ちゃんとしておくように、何度も何度も娘に言い聞かせていましたので、成功しました。

その後、何度か虫歯治療に通っていますが、早期に行っていますので、薬を塗ってもらう程度だったりで、付き添う親が、どっと疲れるような体験は、その後していません。

ちなみに、銀冠、次の日に、見事、体から出てまいりました。

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音楽教室

娘は、1997年生まれ。

いろんなお稽古を今までに習ってきました。
続いているお稽古もあれば、止めてしまったお稽古もあります。
数々のお稽古の中で、一番続いているおけいこが、ヤマハ。

一番最初に行ったのが、2歳半からのコース。
「おとのゆうえんち」
リトミックが主なレッスン内容です。

ピアニストにしたかったわけでも、早期教育に燃えていたわけでもありません。

すべてにゆっくりんの娘。
でも、音楽には、特別な反応を示していました。

私自身もピアノを習っていたし、家にピアノもあったし、近くにヤマハの音楽教室があるし、気楽な気持ちで体験に行きました。

娘は、とても楽しそうに参加して、うれしそうにしていました。

こんなに楽しそうにしているのなら、習ってもいいかな~と、気楽な気持ちで、申し込んだのが最初です。

それから、もう10年になります。

リトミックの「おとのゆうえんち」から、エレクトーンに触れる、グループレッスンへと進み、グレードテストも受けました。

ですが、大きな大きな壁があったのです。

リトミックの間は、全く気付きませんでした。
ですが、エレクトーンに触れるようになって、気付いたことが。
それは、鍵盤の場所が分からない。
どこが、ドなのか、レなのか、ミなのか・・・。
黒と、白の長方形が並ぶ鍵盤。
みんな同じ形。
いくら教えてもちんぷんかんぷん。
家の鍵盤には、シールを貼っておきましたが、教室では、???。
これが、妖精ちゃんの抱える大きなハンディキャップだったのです。
この時には、これがどういうことなのか全く分かりませんでした。

そして、音符が読めません。
五線に書かれた黒い音符が、全く分からないのです。
娘には、5本の線の間や上にある黒い●が、それぞれの意味のある音符だという識別が出来ませんでした。
なぜ、分からないの?
どんなふうに教えてみても、全く理解してくれませんでした。

それでも、絶対音感だけは、誰よりも優れていました。
レッスンの間に、聴音の時間があるのですが、単音はもちろん、複雑な和音の音まで、きちんと聞き分けられたのです。
どんな音も、一度聞いただけで、言え、鍵盤の位置を探して、弾けました。

この能力には、先生もグループのみんなも一目置いてくれていました。

小さな間は、それでなんとかグループレッスンも受ける事が出来、楽しくやっていたのですが、楽譜が読めない事が致命傷。
どんどんと差が出てきました。
宿題にも、音符を書いたりする事が出てきました。
出来ない事を無理にさせることに、私も疲れ果てました。
楽しいはずの音楽教室が、母娘で苦痛な時間になってきていました。
そこで、キリの良い、年度変わりに、限界を感じ、止める事にしました。

そのことを先生に報告した時、「娘さんには、素晴らしい能力があるので、このまま止めるのは、もったいないから、止めないでください。個人で、娘さんに合った指導をしてくださる先生を探しますから。」と言ってくださいました。

娘も、音楽が好きです。
ただ、みんなに付いていけないから止める決心をしただけ。
もし、娘の事を理解してくださる先生が見つかったら、続けさせてやろうと思っていました。

そして、今の先生を紹介していただき、レッスンを受けて、3年になります。
未だに楽譜は読めません。
私も、楽譜が読めるようになることを望んでいません。
娘にいたっては、楽譜を読む気は、全く無く、読めなくったて、へっちゃらのへーすけ。
先生は、「楽譜が読めなくても、これだけ音が聞き分けられ、私が1度弾いただけで、すぐに同じように弾けるのですから、十分です。」と、楽譜を読ませようなんて事は、最初の数ヶ月で断念。

エレクトーンは、素晴らしいです。
だって、右手でメロディー、左手で和音コードを弾くだけで、リズムや伴奏を入れてくれるのですから。

娘は、だいたい月に1曲のペースで仕上げていきます。

選曲は、先生がしてくださる事が多いのですが、娘のリクエストに合わせてくださる事もあります。
弾けるようになった曲は、数十曲。

弾いている娘も楽しそうですが、聴いている家の者も楽しいです。

楽譜が読めなくったって、不器用な指を一生懸命動かして弾くエレクトーン。
娘の一番のストレス発散になっているのかな。

継続は力なり!

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頻尿 幼児期~小学校低学年

なかなかオムツの取れなかった娘。
オムツが取れてからも、結構お漏らしをしていました。

私には、全く理解できませんでした。
それもそのはず。
時間をみはからっておしっこに誘い、連れて行きます。
その後、えっ?と思うような短い時間で、また行きたくなったり・・・。

出かけた時にいつも注意していた事は、娘が「おしっこ」と言った瞬間には、もう我慢できない状態だったのです。
どうして、もっと早く言ってくれないの?
と、いつも思っていました。

ですから、行った先でまず、していた事は、トイレの場所の確認です。
それは、今でも習慣になっています。
今でも、待ったなし!に近いので。

お出かけの時には、何組もの下着などの着替えを持参していました。
娘のおかげで、いつもかなりの大荷物でした。

オムツが取れなかった時のほうが、楽だったのに~と、勝手な事を思ったりもしました。

一番ひどかっかのが、小学校に入学してから。
幼稚園では、さほどというか、たま~にお漏らししてくる程度だったのですが、小学校に入学してからは、ほぼ毎日。

かなり悩みました。

担任の先生には、「本人がトイレに行きたいと申し出たら、授業中でも行かせて欲しい」と、お願いしました。
休み時間にちゃんと行っても、また授業中に行きたくなったり。
それを、先生に言いづらくて、もじもじしている間に、間に合わない事が多かったようです。

保健室に、下着と洋服を預けておきました。

ほぼ毎日お土産持参。

もっと早く気付いてやっていれば良かった。
この点は、親としてかなり反省しています。

小学校3年生になってから、WSの診断を受けたのですが、そこに特徴として、特記されていました。

WSの子は、頻尿である。
緊張が原因と思われる。

娘は、幼稚園の間は、比較的のびのびと、彼女のペースで生活させてもらっていたのですが、小学校に入学して、初めて出会うお友達との集団生活。
決められた時間内に、様々な事をこなしていかなければなりません。
娘は、毎日必死だったのです。

特に、頻尿になった時間がありました。
それは、「さんすう」
数の概念が乏しい娘には、とても緊張する時間だったようです。

算数が、苦手。
苦手だから、頑張ろうとする。
頑張ろうとすると、緊張する。
緊張すると、トイレに行きたくなる。

この心理状態が親も先生も分からず、算数が嫌いだから、さぼってトイレに行きたくなると解釈していました。

これは、大人の勝手な、間違った見解だったのです。

いつもいつも、極度の緊張をしていたのです。
それで、トイレに行っても、また行きたくなる。
こんな毎日だったようです。
彼女の緊張による、頻尿の事をもっと理解してっやていれば、毎日毎日お漏らしをして、お土産を持って帰ってくるなんて事も無かったのに。

本当に娘には、かわいそうな事をしました。

今では、緊張による頻尿も理解していますので、先生にもきちんとその事を伝え、対処していただいています。

家庭でも、娘が緊張しているなと思うことがあれば、出来るだけ、緊張がほぐれるように、親子で取り組んでいます。

そして、現在は、この頻尿という現象を反対に利用しています。
娘が、何度もトイレに行きたがる時は、何かに緊張していると言う事。
その緊張が何なのかを、気付いて、見つけ出してやり、精神的負担を軽くしてやる事ができますから。

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子育ては親育て

娘は、12才。
私にとって初めての子供ですので、私も親になってまだ12年。

心雑音で病気が見つかり、その後には染色体異常の疑い。

この頃の私の気持ちは、
「なんで、私にこんな子が生まれてきたん?」

こんな子・・・。
こんな子という表現がすべてを物語っています。

病気に対しても、ハンディキャップにたいしても、心のどこかで差別的に思っていたのでしょう。

自分の娘の、何かが違う、どこかが違う。

受け入れられない!
受け入れたくない!
知りたくない!
知るのが怖い!

娘に、ハンディキャップがあるかもしれないと分かった時、主人に、
「どうしよう・・・。この子に障害があるかもしれへんのやて・・・。」と言いました。

その時の主人の返事は、「ええやないか、うちを選んで生まれてきた子や。大事に大事に育てたら。こんなに可愛いし、一生懸命生きているんやから。」

静かな、この言葉に私も「そやな・・・。ほんまやな。」

何を考えてたんやろう、私って。

それからは、主人の言うとおり、私達家族で、大切に大切に育ててきました。

それでも、娘への「疑惑」は、心のどこかで受け入れようとしながらも否定し続けていました。

だから、9歳になるまで、きちんとした検査を受けようとしなかったのでしょう。

娘を育てているつもりで、私は、娘に親として育ててもらっていたのです。

娘の成長よりも、親の成長の方が、ゆっくりゆっくりゆっくりだったように思います。

今も、まだ娘の成長に、必死で追いつこうとしている私です。

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発話

1歳くらいから、こちらの言う事にはしっかりと理解を示し、身振りで様々な意思表示が出来るようになりました。
それでも、言葉らしい言葉は、まだ話せませんでした。

こちらの言う事は、よくわかっているのに、しゃべらないな~と思っていたら、1歳3ヶ月(伝い歩きが出来るようになった頃)になって、ある日、食べ物を前に「マンマ・マンマ」と話すようになりました。

それからは、伝い歩きをしながら「ウンチ・ウンチ」と掛け声をかけたり・・・。
これは、娘が伝い歩きを頑張ってしていると、横からおばあちゃんが「ヨイショ!ヨイショ!」と掛け声をかけるから覚えたんだと思われます。

娘のこの発話が、様々な遅れの発見を見逃す事となったように思います。

乳幼児健診では、体の発育状態だけでなく、発話や意思表示の様子などで知的な発達の判断をされます。

娘は、1歳6ヶ月健診時に、意味のある単語が話せ、2歳時には、簡単な二語を話すことも出来ました。

言葉の発達にあまり遅れをみなかったのは、毎晩寝るときに、寝つきの悪い娘のために、お父さんが「あ」から順に、「あ~は、ありさんのあ」「い~は、犬のい」というふうに、様々な言葉を子守唄代わりに聞かせていたからなんじゃないかな?と思っています。
最初は、聞いていただけの娘も、だんだんと、簡単な単語なら、一緒に言えるようになってきたのです。

夜は、暗がりの中で「音」として聞いていた言葉も、昼間は視覚から、「ほら、これがあ~のありさん」などと、遊びながら確認していました。

最初は、名詞の認知から。

モノの名前の認知がどのあたりで確立されていったかは、記憶があいまいですが、この遊びのおかげで、早い段階で、簡単な(よく目にするもの,欲しいもの)単語は、話せるようになっていたように思います。

娘は、言葉を音とリズムで覚えていきました。
この頃、親はまだ知らなかったウィリアムズ症候群の特徴である、耳(音感の良さ)が、上手く言葉を覚えることと連鎖させることが出来たからだったのでしょう。

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たっちからひとり歩き

1歳3ヶ月でやっと伝い歩きが出来るようになった娘ですが、なかなか「ひとり立ち」は出来ませんでした。

体が小さく細かったせいもあるのかもしれませんが、なかなか両足でしっかり立つと言う事が出来ませんでした。

伝い歩きだって、両手を離すことはありませんでした。

立ったままテーブルの上のモノを取る時だって、おなかをしっかりテーブルにもたれさせていました。
体重は、しっかりテーブルに預けていたのです。

「ひとり立ち」が出来るようになったのは、1歳5ヶ月の時。
この頃の体重が7000g
伝い歩きから2ヶ月もたっていました。

健常なこどもが、標準的な発達をするのに平均どれくらいの時間を要するのか私にはわかりませんが、ひとつずつのステップアップに、娘はそれなりの時間を要するようでした。

「ひとり立ち」から「ひとり歩き」が出来るようになるまで、これも時間が必要でした。

フラフラとしながら両手でバランスを取りながら、しばらくの時間立っていられるようになったけれど、なかなか足が前へ出てくれません。

はじめの一歩が、なかなか・・・。

やっと歩けるようになったのが、1歳8ヶ月になって。
自分で立てるようになって、少し食欲も出てきて、だんだん身につくようになってきました。
体重も7500gまで増えました。

歩いた日の事を今でも鮮明に覚えています。
忘れもしないきっかけが。
娘が悪さをしようと、ローボードのふちを持って立っていたところ、私がいつもより大きな声で「何してるの?」と言ったところ、びっくりして、お父さんに向かって慌てて歩いて(小走り)逃げていったのです。

みんな驚いて、「なんや!歩けるやん!」と言ったのを覚えています。

きっと、両手を離して歩く事が怖かっただけだったんだと思います。
コツを覚えた娘は、両手をぱやぱやさせながら、上手にバランスをとりながら、やっと歩く事が出来るようになりました。

でも、まだまだ長距離を歩く事はありませんでした。

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断乳

つかまり立ちをしてから、なかなか伝い歩きもせず、ただ同じ場所で、足の屈伸運動を続けていた娘。

1歳3ヶ月くらいになって、やっと横への移動が出来るようになりました。

体重も、やっと7000グラムを越えてくれてやれやれ。

この頃、まだしっかりとした食事が出来なくて、私の小指の指先くらいの大きさのおにぎり3~4個を1回に食べるのがやっとこさ。
いつも、お父さんがこのおにぎりを作ってくれていました。

これを、日に何度も食べていました。
それでも、注意していないと、戻してしまうので、かなり食事環境には気を使っていました。

新生児の頃よりしょっちゅう戻していたのですが、どうも理由があったようです。

高カルシウム血症の子は、よく戻したり、不機嫌でよく泣いたりするのだそうです。
うちの娘もおんなじ。
でも、お医者様に検査してもらった事が無かったので、しらないままに終わっていたのです。
もし、検査してもらっていて、高カルシウム血症だったならば、低カルシウムミルクなどを処方してもらうことで改善できたのに・・・。

そしたら、こんなに大変な思いをすることも、もう少しなかったのかも・・・と、今になって思います。

一日中、飲んでは戻しで、いつも空腹感を持っていた娘も、1歳3ヶ月で断乳しました。

離乳食は、1歳で、すでに完了していたのですが、相変わらず食べては、戻しを繰り返していたので、おっぱいは飲ませていました。

小児科医の先生には、「歩くまでは母乳を飲ませていても良いですよ」と言われていました。

歩き始めると、神経伝達が完全に出来上がるのだそうです。

1歳3ヶ月で、まだ歩かなかったのですが、一日中おっぱいを飲ませているような感じで、何も出来ない事と、乳首が痛くてたまらなくなっていたから、もう限界だ~と、思い決心したのです。

断乳は、意外と上手くいきました。
口寂しくって、眠たくなると欲しがっていましたが、その都度「もう、おっぱいは、おしまいよ。」と、言い聞かせました。
そして、おばあちゃんかお父さんが娘を寝かせてくれたのです。

断乳に関しては、あまり苦労した記憶がありません。

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長かったつかまり立ちの時期

つかまり立ちが出来るようになったのが、標準月齢のほぼ最後の方の10ヶ月になろうかとする頃でした。

ずっとゆっくりの成長だったので、「おっ、ここへきて、一気に追い上げて、問題無しか!」と、喜んだのもつかの間。

体重もパーセンタイルの最低ラインを割り始めました。

1歳の誕生日の頃になっても、全く歩く気配は無し。
この頃の体重が、6800g

伝い歩きすら、する気配は無し。

ずっと、テーブルを持って、足を上下に屈伸させて、スクワットをしているだけ。

本当は、歩けるんじゃないの?と思ったくらい。

今から思えば、足を上手に横に出せなかったようです。

1歳3ヶ月くらいになって、やっと伝い歩きが出来るように。
やっと7000グラムを少しだけ越えました。

でも、ちょっとしたことでフラッとなり、バランスを崩して倒れていました。
危なっかしくって・・・。
何度も顔をごっつんこしてました。

毎月行っている病院の先生に相談したら、「太ももの筋肉がまだ発達していないから歩けないのです。滑り台が家にあったら、下からハイハイで上らせてください。無ければ、布団を斜めに積んで、そこを上らせてください。これを毎日繰り返しする事で、太ももの筋肉が発達して、歩けるようになりますよ。」と指導してくださいました。

ちょうど我が家には、お友達から頂戴した滑り台があったので、下からハイハイで上らせる練習を毎日しました。

でも、だからと言って、すぐに歩けるものでもありませんでした。

娘だって、滑り台を上るのが嫌な時だってあるのに、私の焦る気持ちが優先して、嫌がって、泣く娘に無理やり「滑り台上り」をさせたりしていました。

きっと、私も必死だったし、怖い顔してさせていたんだろうと思います。
お母さんは、怒るし、滑り台は上りたくないし、僅か1歳ちょっとの娘にとって、辛い日々を送らせていました。
本当にかわいそうな事をしたな~。

同じくらいの月齢の子が、みんな歩けるのに、なんで娘だけ歩けないのよ!と焦りまくって、もやもやもやもやしていた頃。
娘の人格よりも、発達を望み、優先させていた頃。
のんびり、ゆっくりの成長をまだまだ受け入れられなかった頃です。

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ハイハイ期からつかまり立ち期

腰がなかなか安定せずに、お座りがひとりで出来るようになるまで、随分時間がかかりました。

ですが、お座りが出来たのと同時くらいに、ハイハイをするようになりました。

これも、やはり体重が軽かったからのようです。

首の据わりも、ひとり座りも、標準の月例から大幅に遅れてだったのに、ハイハイだけは、ちょぴりの遅れだけ。

これは、逆に驚きでした。

親バカですよね、「やった~。これで、もう心配無い!ここで、一気に挽回だ。これからは、他の子と同じように発達していくに違いない!」と、勝手に確信していました。

けれど・・・・。

現実は、厳しかった~。

つかまり立ちが出来るようになったのは、もうすぐ10ヶ月(6795g)になろうとする頃でした。

ハイハイから、つかまり立ちが、急にできるようになったのは、娘にすれば、体重の増加が、今まで1ヶ月で150g程度だったのが、200g平均の増加になっていたからでしょうか。

京都市では、8ヶ月健診が保険所であるのですが、身長64.3cm・体重6400gという事で、1ヵ月後に再検診と言われました。

この時、股関節に異常があると言われ、かなり心配しました。

毎月、心臓で健診を受けている病院で、股関節の検査をお願いしてしていただきましたが、異常なし。

やれやれ。

この頃は、まだ女の子だし、ちっちゃい方が、かわいくて良いかな~なんて、のんきな事を思っていました。

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寝返りとおすわり

なかなか首のすわらなかった娘。

スタートラインが遅れているのですから、寝返りもお座りもやはり遅かった。

それでも、体重が軽かったので、6ヶ月半で寝返りする事ができました。

この頃の体重が、6140g。
おっぱいは、しっかり出るんですが、飲んで吐いてを繰り返し、一向に体重が増えませんでした。

抱っこする方にとっては、軽くて楽チンだったのですが・・・。

お座りもなかなか出来ませんでした。
体重が少ないので、腰も安定しません。
ぐにゃぐにゃのふにゃふにゃ。

背もたれにクッションなどを置いて、座らそうとするのですが、そのままズリズリと倒れていくか、前へつっぷすか。

出来ない事は仕方ありませんので、あまり無理はさせませんでした。

それでも、離乳食が始まっていましたので、ラックで体を固定して、食べさせていました。

親は、欲なものです。

首が据わったら、楽になったと喜び、早くお座りが出来るようになってくれれば、もっと楽になるのに・・・と思って、なんとか座らそうと、悪戦苦闘。

今から思えば、何も無理やりさせなくったて、時間はかかっても、いずれ出来るようになったのに。

初めての子供で、育児書と姑さんの言葉で、必死になっていました。

きっと、娘はいい迷惑をしていたんだと思います。

ひとりで、安定したお座りが出来るようになったのは、8ヶ月半になった頃でした。

体重は、6410g。

1ヶ月、150gのペースでの増加です。

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