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2008年5月

首の座り

赤ちゃんの発達で一番最初に確認できる事が、首すわり。
首がすわると、抱っこをしたり、お風呂に入れたり、日常生活で子供に触れる時に、かなり楽になります。

娘は、2650gと小さめで生まれ、一般的に首がすわる目安の3ヶ月の時は、4905g発育曲線の最低ライン。
いっこうにすわる気配がありませんでした。

体が小さく、痩せているから、首のすわりが遅いのかな~くらいに思っていました。

4ヶ月に入って、ようやく安定してきました。
完全にすわったと確認できたのは、4ヶ月の半ばを過ぎていました。
体重もやっと、5315g(2ヶ月半くらいの女の子の標準体重)と、なりました。

今から思えば、この首のすわりの遅かったのも、異常のひとつだったのでしょう。

首のすわりの遅れは、様々な身体発達の遅れの前兆だったようです。

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心に響いたママ友の言葉

1年遅れで幼稚園に入園した娘。
娘は、何の心配も無く、マイペースで、自分の思うように一日を過ごしていました。
それを見ていて、イライラが募るのは、母の私。

しなくても良いのに、つい・・・。
同年齢の子と、娘とを 何かにつけて比べてしまいます。

そして、「あ~、まだこんな事もうちの子は出来ない。」なんて、勝手に落ち込んだりして。

娘の通っていた幼稚園は、とても小規模な幼稚園。
娘と同じ年の子は、25人ほどしかいません。
バスで通園してくる子もいますが、親が送り迎えの子の方が、多かったので、子ども同士よりも、お母さん同士の方が仲良くなりました。

娘の遅れを認知しながらも、まだまだ受け入れられていなかった私は、いつも、仲良くなったママ友に、「うちの子は、まだこんな事も出来なくって・・・。どうしたらいいかしら?」という愚痴とも相談ともつかない事を言っていました。

きっと、いつもいつも私から、そんな言葉を聞かされていたママ友は、嫌気がさしていたのでしょう。

いつもなら、「大丈夫よ。心配無いって!出来るようになるから。」と、励ましてくれていたのに、ある日。

「妖精ちゃんのママは、子どもに対して、課しているハードルが高すぎるんじゃない?お父さんもお母さんも子どもの頃から何でも出来た子だったんじゃない?もう少し、妖精ちゃんへのハードルを下げてあげたら?そして、出来るようになったら、少しずつ上げていってあげたら良いのに。」と、言われました。

この時、初めてハッとしたのです。
私って、すごく嫌なお母さんに映ってたんやなって。
この時から、娘に対して、追い上げるような事をしなくなりました。

ママ友の私へのこの言葉。
きっと、彼女はそんな事を言った事すら忘れているだろうけれど、私には今でも忘れられない、とても大切な事を教えてくれた言葉なのです。

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みんないいこだよ

娘の発達が遅かったので、何かにすがりたかった私。

ベネッセコーポレーションの「こどもちゃれんじ」を毎月とっていました。

毎月送られてくる教材。

同じくらいの子は、もうこんな事が出来るのか?
と、ショックを受けました。

でも、娘は、毎月喜んでビデオを見たり、教材で遊んだり。
決して、理解しているようには思えませんでしたが、母の自己満足で、幼稚園の間、取り続けました。

この月間教材に、親のための冊子が入っていました。
その、臨時創刊号に娘の事を寄稿し、採用されました。

その時の記事を紹介します。

4月から幼稚園の年中に通い始めた娘。
ある朝、ぽつりとこう言いました。
「幼稚園に行きたくない」
理由を聞くと、
「きのう、ケンカしたから・・・」
こんなときは、どんなおまじないが効くのかな・・・。
少し考えたあとで、私はとても当たり前のことを娘に言って聞かせていました。
「朝、会ったら『おはよう』って言って、それから『ごめんね』って言えばいいんだよ。」
その日、娘は、幼稚園から元気に帰って来ました。
「『ごめんね』が言えた?」と、私。
「うん、言う前は心臓がバクバクして、言ってるときは、ドキドキした。」
「それで、言ったあとは、どうやった?」
娘は、ちょっとはにかんでからこう答えました。
「ラブラブって音かな・・・」
「ごめんね」。
たった4文字の言葉なのに、誰かに言う時はとても勇気がいる。
それが、今日よ~くわかったんだね。
最後の「ラブラブ」っていう心臓の音、ずっと忘れないでね。

『みんないいこだよ。2000』より

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対人関係の悩み(幼稚園編)

京都市では、保育園へは0歳児さんから行く事ができます。

幼稚園へは、3歳児から。

私は、就労していませんので、妖精ちゃんを幼稚園へ預けました。

ほとんどのお子さんは、3年保育で3歳から幼稚園へ行かれるのですが、妖精ちゃんは、トイレトレーニングもまだ完了していなかった事もあり、1年遅れで入園しました。

少人数の幼稚園でしたので、1学年1クラス。

人数も28名。

内、妖精ちゃんを含む、9名が2年保育で、後から入りました。

幼稚園では、歌を歌ったり、折り紙をしたり、体を動かしたり。

それ以外のときは、みんなで仲良く、いろんな事をして遊んでいました。

この遊びの中で、妖精ちゃんはいつも誰かとトラブルになっていました。

集団での生活が理解できないという事もあり、自分の思い通りにならないと、お友達を押したり、叩いたり、噛み付いたり・・・。

家では、そんな事しなかったのに・・・・。

お迎えの時に先生からこの事を聞かされた時は、かなりショックでした。

お友達に対して、“手を出す”事の理由を一生懸命考えました。

一番の理由は、言葉で気持ちが上手に伝えられず、言葉より先に手が出ること。

自分の気持ちを相手に、言葉で伝えられるようにするように、毎日毎日教え続けました。

わざわざ、お友達母子を家に招いて一緒に遊んでもらい、様子をみました。

そして、遊びの流れから、お友達に手を出した時の状況を見て、その場で妖精ちゃんに教えました。

子どもって、後から「あの時は、どうだった、こうだった」と注意しても、そのときの事を大人のように思い出せませんし、何の事を叱られているのかも分かりません。

その場、その場で注意する事を続ける事で、だんだんとお友達に手を出すという事は減っていきました。

妖精ちゃんが、お友達に手を出すという行為に対して、一番のストレスだったのは、相手のお母さんに対してです。

だって、誰だって可愛い自分の子どもが可愛いに決まっています。

その子どもに怪我こそさせなくても、手を出されて良い気はしません。

幼稚園で“手を出した”と聞いた時。

お家へ遊びに来てもらったときに“手を出した”時など、一生懸命謝りました。

もちろん、妖精ちゃんも一緒にです。

不思議なもので、誠意を持って接する事で、どのお母さんも「そんなん、子どものことやん。うちの子だって、いつもすぐ手を出すし、何も妖精ちゃんだけがしてる事じゃないよ。」と、優しく声を掛けてくださいました。

何よりも嬉しかったのは、妖精ちゃんが“手を出た”時に、相手のお母さんが、そのお子さんに向かって、「あんた、今なんで妖精ちゃんが、あんたの事叩いたか分かるか?あんたが、そんな意地悪するからやろ。仲良く遊びなさい。」と、自分の子供が叩かれたにも係わらず、妖精ちゃんを責めるどころか、庇ってくださるようになったのです。

子どものけんかに親が・・・と、言いますが、やはりまだ小さな幼稚園児の事、親の協力も、子どもどうしの人間関係にも大きく影響すると思います。

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保育年数

娘は、いろんな面で遅れていたので、みんなより1年遅れて、2年保育で幼稚園へ入園しました。

幼稚園の先生には、遅れている子ほど、集団で同年齢の子と過ごす事で、どんどんと成長・発達します。
妖精ちゃんも、2年保育で、これだけの成長をしたのですから、3年保育だったら、今以上にもっと成長出来たでしょう。
私達も、もっとお力になれたかと思うと、2年だけだったのが、残念でなりません。
と、卒園時に言っていただきました。

娘の障がいの事は、入園時も卒園時もまだ分かっていませんでした。
でも、長年多くの子供達を指導されてきた先生方は、娘の遅れをすぐに分かってくださいました。
そして、いつも配慮と共に、しっかりとした指導を娘と保護者に対して、してくださいました。

入園を遅らせたのは、こちらの考え。

在園の2年で、それは驚くほど成長しました。

親の私が、幼稚園(集団生活)に対して、少し考え違いしていたことがあります。

それは、集団生活が出来るようになってから、集団に入れなければならないと思っていた事。
大勢の子どもの中の一人として、自分の事は何でも自分で出来なければいけないんだと思っていました。

でも、娘を通わせた幼稚園では、先生の肌理細やかな指導は、もちろんの事、お友達と一緒に過ごす事で、どんどんと成長していくことが、手に取るように感じられました。

本当に、2年保育か3年保育かで迷った時に、幼稚園の先生方のお薦めを受けて、3年保育にしておけば良かったと感じました。

発達・発育に問題の無い子ほど、保育期間が短くても、大丈夫。
けれど、娘のように、何か問題を抱えている子ほど、その子を理解し、指導していただける機関や施設に、早い段階で出会える事は、子どもの成長に、とても大きな後押しをしてくれると思いました。

ですが、1年のブランクが、娘の成長に大きく影響しているとは、決して思っていません。
それは、公園へ天気の良い日は出かけたり、地域で催されている子育てサークルへ行ったり、音楽教室へ行ったりと、娘のペースに合わせて、行動していましたので。

2年保育でなく、3年保育にした方が、娘の発達に良かったかもしれないと、思うのは、それだけ、素晴らしい幼稚園に娘を通わす事が出来たからでしょう。

ちなみに、京都では母親が働いていない場合は、保育園へ行く事は、かなり難しい。
もし、私が仕事を持ち、理解ある保育園へ通っていたら、保育年数も増えたわけで、ひょっとしたら、もっと成長していたかな?と、欲の深い事を思ったりもして。

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トイレトレーニング

子供の発達段階で、訪れる関門が、「オムツ外し」。

早い子で、歩けるようになった1歳くらいからだそうですが、歩くのが1歳8ヶ月と遅かった娘は、2歳になっても当然外れていませんでした。

同居する義母(主人の母)が、何気なく言った言葉が重く私にのしかかっていたのです。

「うちの○○(主人の名前)は、1歳の時には、オムツ外れてたのに」って。

この「のに」っていう表現には、「この子は、遅いね」が含まれていると思い込みました。

暖かくなった2歳5ヶ月くらいから、「トイレトレーニング」を始めましたが、なかなか上手くいきません。

イライラが募ります。

お漏らしした娘のお尻をぺチンと叩いたり。
「おしっこ出るのが、分からへんの?」と僅か2歳半の子に言ってみたり。

私が、イライラしたり、焦ったりすればするほど、上手くいきませんでした。

親子関係も、どんどん悪くなるし・・・。

それでも、義母の手前、「早く外さないと!」という思いでいっぱいでした。

今から思えば、義母は何気なく言った事で、私や娘を責めて言った事では、なかったのに、娘に発達・発育に遅れがあった事で、どこかで追いつきたいという思いで一杯だったのです。

何も、オムツが外れたからと言って、それが子供の成長の終着でもないのに。
この頃は、必死でした。

3歳になっても、成功しませんでした。
3歳4ヶ月で、幼稚園へ入園予定でしたが、先生に迷惑をかけるのは、申し訳ないと言う事で、3年保育を断念し、2年保育に決めました。

幼稚園の先生は、「オムツをはめて入園してくる子も、そのうち外れますから大丈夫ですよ。」と言ってくださいましたが、決心できませんでした。
3歳過ぎても、全くオムツが外れない事に、かなり焦った私は、小児科の先生に相談しました。
「しっかりと歩くようになることで、膀胱も鍛えられ、脳への指令もうまく伝達できるようになるのです。
歩くのが遅い子は、それだけオムツが外れるのが遅くなっても仕方ありません。
気にする事は、ありませんよ。
必ずはずれますから!」
と、励ましてくださいました。

3歳半になっても、まだ失敗が多く完全に外れたのは、3歳8ヶ月になっていました。

それでも、不思議な子で、「うんち」だけは、その1年前の2歳8ヶ月で言えていました。
私の焦る気持ちの中で、せめてもの救いでした。

やっとなんとかおむつも外れて喜んだのもつかの間、これから先、お漏らしに悩まされる日々が・・・。

ウィリアムズの特徴として、緊張したり、不安を感じると「頻尿」となることがあるのですが、この頃は、まだ知らなかったのです。

オムツだって、何もみんなと同じように外れなくったって、いつか本当に外れる日がくるのに。
この頃は、そんなことも分からずに、娘には辛い思いをさせていました。

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女のこの遊びって?

娘は、誰がなんと言おうとも女の子です。

私を含め、周辺の大人は、先入観で、女の子は「お人形遊び」をすると思い込んでいました。

お誕生日のお祝いや、クリスマスプレゼントなど、いただくものは、お人形が多かったのです。

今まで、我が家にやってきたお人形は、リカちゃん人形3個。

シルバニアファミリーの赤いお家セット。

ぽぽちゃん。

ぬいぐるみ各種。

などなど、初めての子と言う事もあって、それは沢山のお人形でした。

1歳くらいの頃は、まだちっちゃいからかな? なんて思っていましたが、2歳になっても、3歳になっても、4歳になっても同じ事。

全くお人形に見向きをしないのです。

見向きをしないどころか、目に指を突っ込む。

手足をもぐ。

洋服を脱がす。

18禁映画さながらの恐ろしい仕打ち。

その都度、そんな事したら、ダメよ。

とか、痛い痛いって言ってるよ。

なんて言っていたけれど、全く解せず。

分解しては、元に戻せと、持ってくるだけ。

私は、想像していた女の子の遊びを全くしない娘にかなりのショックを覚えました。

ただ、分解するだけのお人形は、綺麗に箱に片付けて、押入れに片付けました。

かと言って、車や電車に興味があるわけでもなく。

これも、個性と受け入れられるまで、かなりの時間がかかりました。

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妖精ちゃんのおともだち

娘は、私の理想とする女の子の遊び(お人形・ままごと)を年長さんになるくらいまで、全くしませんでした。

ですが、お人形やままごと道具は使用しなくても、「ごっこあそび」は、それなりにしていました。

では、何で?

我が家には、娘が大好きなお友達が居たのです。
そのお友達の名は、「じきおちゃん」
水色の掃除機です。
娘は、音過敏症で、掃除機のモーター音が嫌なくせに、「掃除機」が大好き。

私が、掃除機を使い出すと、耳を塞ぎながらも、「じきおちゃ~ん」と呼びながら、付いて回っていました。

掃除機の吸い込み口が、お顔。
ホースが首。
モーター部分が、体。
丸いタイヤが、足。

隅っこを掃除しようと、お顔を外そうものなら、「あか~ん。そんな可愛そうな事したら~。」と、大騒ぎ。

何かちょっと大きなモノを吸い込んで、グゥィ~~~ンと、言う音が聞こえようものなら、「何食べさせたん?苦しいって言ってるやん。お腹こわす~。」と、大騒ぎ。

娘には、掃除機を擬人化させて、お友達として話しかけていたのです。

それに、愛読書もありました。
それは・・・。

掃除機のカタログ。

スーパーの家電売り場や電器屋さんに行くと、必ず掃除機の売っているところへ行き、何分でも眺め、最後にはカタログをあるだけの種類もらって帰るのです。

家では、掃除機のカタログを広げ、色や形の違いに、大興奮。
そして、家族に「どのじきおちゃんが、かわいい?」だの、「わたしは、このじきおちゃんと遊びたい」だの、じきおちゃんの話題に花を咲かせていました。

小さな子供が大好きなおもちゃとは、とても思えない、じきおちゃん。
でも、娘にはとっても大切なお友達だったようです。

今でも、もちろんじきおちゃんの事大好きです。

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公園デビュー

小さい間、遊びの中から多くの事を学んでいく事は、よ~く分かっているつもりでした。

街中の家ですので、子供を安全に遊ばす事の出来る場所といえば、公園です。

広い公園で、のびのびと遊ばせてやったら、娘も喜ぶのは、分かっていました。

でも、発達のすべてにゆっくりだった娘を連れて、公園へ行く事にためらいがあり、なかなか行けませんでした。

近くには、企業の大きな社宅があったり、巨大なマンションがあったりと、娘と同年代の子供は、とてもたくさんいました。

ですが、なかなか足が向きません。

初めて、娘を公園へ連れて行ったのは・・・。

幼稚園の入園を1年送らせると決めてからです。

やっと公園デビュー。

公園には、娘と同じ年の子は、いませんでした。
みんな、幼稚園へ行っています。

一緒に遊ぶお友達もお母さんも、学年が違います。
この、学年が違うと言う事が、どれほど私の気持ちを楽にしてくれた事か・・・。

だって、今、遅れていたって、学校の学年が違えば、だ~れも知らない事だもん。

主に、1学年下のお友達と遊んでいました。
同じくらいの子と遊ぶ事で、刺激を受け、少しは、いろんな事が出来るようになるのではないかな~と思ってのことです。

ですが、娘を遊ばせる事は、とても大変な事でした。

お砂場で、ままごと遊びをしていても、砂で作ったプリンを本当に口へ持っていったり。

スコップで、掘った砂をお友達にかけたり。

他の子が持っている物を取り上げたり。

遊具も、なかなか交代するという事が出来なかったり。

自分が気に入らないと、お友達を押したり。

ちょっと私が、他のお母さんとおしゃべりしている間に、公園にある池に入って行って、他のお母さんが教えにきてくれたり。
この池ポチャの時は、びっくりしました。
だって、雪のちらつくとても寒い日だったんですもの。
娘の様子から、わりと長い時間池の中にいたようです。

他の同年齢の子供達が、遊ぶ様子を見ていても、はっきりと違いが分かりました。

親の私は、子供にというより、それぞれのお母さんに気を使って、
娘に対して、「ダメ!ダメ!」の連呼。

お友達やお母さん達には、「ごめんね。ごめんね。」の連呼。

それでも、公園で知り合ったお母さん達とも、大きなトラブルになる事もなく、「子供同士の事」として、とても優しく、私達親子を受け入れてくれていました。

天気や体の状態に合わせて、
毎日毎日同じ時間に、同じ事をして、同じお友達と、遊んでいました。

そこでは、様々な情報も得る事ができました。
娘を通して、私のお友達も出来、おしゃべりしているだけで、ストレスが発散されていました。

ちょっと遅めの公園デビューでしたが、毎日同じ時間に通う事で、何度か顔を合わす方とは、あいさつも交わすようになり、だんだんとお友達も出来、入園までの有意義な時間を過ごす事ができました。

このとき、仲良くしてもらったお母さん達とは、今でも仲良くさせてもらっています。

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染色体検査を受けなかった理由

心臓の状態が、ほぼ良くなった時点で、「ウィリアムズ症候群の疑いあり」と、医師から告げられた私達。

医師の、「どうされますか?今すぐに検査を受ける必要はありません」という言葉を素直に受け入れました。

この先生の判断は、心臓が専門だったからかもしれません。

もし、遺伝子科の先生だったら、心臓疾患の起因を追及するために、血液検査を薦められたのかもしれません。

検査を受けるか受けないかは、親の判断に委ねられたのです。

私が、検査を受けなかった理由は、2つあります。

ひとつは、まだ子供が欲しかった事。
一人目が女の子だったので、男の子が生まれるまで、子供が欲しかったのです。
もし、娘の病気の起因が、染色体異常だと分かったら、次の子を妊娠する勇気が持てませんでした。

娘が授かった時、一度流産していたこともあって、とても嬉しくって、生まれてくるのを家族全員で心待ちしていました。
指折り数えて生まれてくれるのを待っていた、その子に・・・。

母である私の頭に、もし・・・次の子にも障がいがあったら・・・。
娘の場合は、「疑い」なんだし、違うかもしれない。
きっと大丈夫。
次の子が授かった時に、10ヶ月間安定した気持ちで、おなかの中で育つのを待つことに不安がありました。
もしも・・・もしも・・・
そんな気持ちにならないように、検査を見送ったのです。

そして、もう一つは「ウィリアムズ症候群」の子は、知的障害がある。
10歳程度の知能にしか発達しないという文面が目にこびりついて離れませんでした。

「知的障害」先の見えない成長に、ものすごく不安というより、恐怖を覚えました。

子供の知的な発達が何歳くらいまでなのか私には分かりませんでした。

娘の成長と共に、様々な検査を受けるようになったことで、10歳程度が、それほど大きな意味を持たないと言う事が分かってきました。
「知的」な発達を調べる検査を受けるようになり、様々な項目が、バランスよく発達していないと、平均値が下り、思わしくない結果となるのです。
娘の場合、空間認知障害が、このバランスを崩し、結果的に「知的障害」と判断される、ラインすれすれとなる事が、分かりました。
そして、考える力とも、全く別のものだと言う事も、今では分かるようになってきました。

自分の10歳の頃を思い浮かべて、考えてみようと思ってもなかなか想像できませんでした。

それならば、10歳くらいになるまで他の子と同じように育てたら良い。
10歳くらいになって、問題があったら、その時に検査を受ければ良い。
私の性格からいって、もし娘に障がいがあったら、「うちの子には、障がいがあるから、ここまでしか出来ない、しかたないやん。」という考え方をしてしまいそうでした。

知らぬが仏。
怖いもの知らず。

結果的には、早い段階で検査を受けなくても、娘の成長に、何の支障も無かったようです。

ようです・・・。
これは、親の自己満足かもしれません。

それは、私がひとつの区切りを考えていた10歳。
娘が、この年齢に近づいて出会った、ウィリアムズの専門の先生。
この先生の診療を受ける事で、またいろいろ考える事となったのです。

これで良かったのか、早い方が良かったのか、今も答えが見つからないまま娘を育てています。

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疑惑

妖精ちゃんが1歳になるまでは、心雑音の経過観察のために、毎月病院で、心電図・心エコーの検査を受けていました。

1歳になった時点で、気になっていた肺動脈狭窄が少しずつ改善されていることがわかり、カテーテル検査もしなくてすみました。

その後、3ヶ月に1回の検査となり、だんだん大きな病院へ行く回数が減ってきました。

2歳1ヶ月の時に、京都で小児心臓では、ココと言われる、府立医大の中にある「こども病院」へ、念のために精密検査に行くように紹介され、行きました。

今までかかっていた病院とは、全く違い、娘なんて病人に入らないな~と思うほど、重症のお子さんが診療に来られていました。

ここで、心エコーの検査を受けているときに、担当の医師から、「この子は、どこが悪くて、紹介されて来たの?」と言われ、今までの経過を説明しました。

「今は、もう全然問題ないですよ。」と、言ってもらい、とても嬉しかった事を思い出します。

その後、検査結果を持って、再度かかりつけの病院へ。

主治医から「実は・・・・ちょっと気になる事があるのです。でもね、この事を知ったからといって、治るわけでもないし。

ゆっくりながらも、ちゃんと成長しているし。もし、何か心配な事があったら、いつでも来てください。」 この時初めて、染色体異常の「ウィリアムズ症候群」の資料を見せられながら説明を受けました。

ですが、遺伝子検査もしなくて良いと言われ、「疑惑」のまま、何か問題があるまでと言う事で、病院を離れる事になりました。

なぜこの時、ちゃんと検査を受けなかったのでしょう。

きっと、娘に異常がある事をどこかで否定したかったのかもしれません。 知る事が怖かったのかもしれません。

もし、2歳の頃に「ウィリアムズ症候群」の診断を受けていたならば、娘は今と違った子供に成長していたかもしれません。

それが、良かったのか悪かったのか、未だにわかりませんが。

この疑惑が、はっきりするまで、7年の歳月を要することとなったのです。

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摂食障害

私が娘を産んだ病院は、産後2日目から母子同室となりました。
朝から、母乳の与え方を教えてもらい、初めての授乳。
たっぷりと母乳も出て、準備万端。
そして、娘が部屋へと連れて来られました。
私も、娘も初めてとあって、お互いにへたくそ同士。

娘は、上手におっぱいを飲むことが出来ません。

上手く吸えない娘。

必要以上に溢れ出る母乳。

娘は、おっぱいでおぼれる寸前。

小さく生まれたから、力が弱いのかと思っていました。
休み休み飲んでいました。
飲んでも、すぐに吐く。
そして、おなかが空くのか、泣きます。

助産婦さんに習った授乳方法は、片方10分程度。

娘は、10分も吸い続けられませんでした。

それでも、「練習すれば、上手に飲めるようになるから」と言われ、慣れない母子は、一生懸命授乳の練習をしていました。

おっぱいが上手に飲めない理由。
それは、後で分かった事ですが、摂食障害からだったのです。

この日から、一日中、娘におっぱいを飲ませているような生活となりました。

飲んでは、吐く。
吐いては、飲む。

この繰り返し・・・。

この摂食障害が治ったのは、4歳になる頃でした。

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睡眠障害

赤ちゃんって、普通よ~く寝るもんだと思っていました。
「おっぱい飲んで、ねんねして~」って歌うように・・・。

おなかもいっぱいなはずなのに、全然寝ないんです。

抱っこして、ゆ~らゆら揺すってやると、すやすや。

もう、寝たかな~と思って、お布団に下ろすと、「フギャ~!」

一日中コレの繰り返しでした。

朝も、昼も、夜も夜中も。

もう勘弁してよ!
何で泣くのよ!
何が気に入らないのよ!

一度だけやってしまいました。
疲れもピークに達していた私。
ある寒い日の夜中。

「抱っこしても、おっぱい飲ましても、何をしても気にいらんのやったら、もう知らん!」と、生まれてまだ少ししか経っていない娘を、お布団の上に投げ落としたのです。

娘は、より一層火が着いたように泣きました。
私も泣いていました。

主人が、そ~と娘を抱き上げて、「あんまり、お母さんを困らせたらあかんよ。よしよし・・・」と静かに言い、「代わったるから、あんたもちょっと寝な。」と。

心の中で、娘と主人に「ごめん、ごめん」と謝りながら寝させてもらいました。

この日以来、二度と娘を投げたりなんてしなくなりました。

そして、私達夫婦が見つけた、良い方法!

二人で寝ない娘を朝まで交代であやしながら、なんとか寝かせて、朝方になったら、同居する主人の両親の部屋の前に、そ~っと毛布で包んで「捨て子」をしてくるのです。

「捨て子」の気配を察した義母が、娘を拾い上げ、今度は、私達若夫婦に代わって、抱っこして娘を寝させてくれたのでした。

後になって分かった事ですが、夜鳴きだと思っていましたが、そんな甘いものではありませんでした。
ちゃんと睡眠が取れない睡眠障害だったのです。

この睡眠障害は、6歳になる頃まで続きました。

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心雑音

おっぱいを飲まないいや、飲めない。
飲んでも吐く。
一日中、抱っこしていないと寝ない。
そんな新生児期の娘でした。

出産から1ヶ月して、娘の生まれた病院で、1ヶ月健診がありました。

その時に、「えっ?」と耳を疑うような事を言われました。

丹念に診察した後、
「ん~・・・。心雑音があります。紹介状を書きますから、一度大きな病院へ行ってください。」

うちの子のどこが悪いの?
心臓が悪いから、おっぱいも飲まないし、寝ないの?

すぐに、紹介状をいただいた病院へ行きました。

診察、心エコーなどを受け、
『肺動脈狭窄』と診断されました。

この日から、毎月1度、心臓の検査を受ける事となりました。

心エコーを受けるのに、安静にしなくてはなりません。
まだ赤ちゃんですので、眠り薬のシロップを処方してもらい、眠ってからの検査です。

でも、睡眠障害の娘は、この眠り薬を飲んでもすぐに眠ってくれませんでした。
30分から1時間ほど、抱っこして病院内をうろうろうろうろ。
ようやく眠ったかな~と思っても、眠りが浅いと失敗。
再挑戦。
こんな繰り返し。

だんだんと知恵のついてきた娘。
あれは、1歳の頃でした。
眠り薬を飲みたくない様子。
でも、飲まなければ検査を受けられません。
いつもは、親が飲ませていたのですが、手こずっていたので、看護婦さんが飲ませてやってくださいました。
相手が看護婦さんなので、意外に素直に口に入れた娘。
飲んでくれた!良かった~と思った瞬間
薬を飲んだかどうか、娘の顔を覗き込んでいた看護婦さんの顔めがけて、薬を
「ブゥ~~~~~ッ」と噴出したのです。
看護婦さんの顔一面に、眠り薬のシロップのシャワー。
親も看護婦さんも大笑い。
申し訳ないんだけど、おかしくって。

大変だったけど、ちょっとした思い出もある心臓検査。

1歳までは、経過観察でしたが、1歳になった時点で、カテーテル検査をするか、そのまま様子をみるか、また決めますと言う事でした。

勇気付けられた先生の言葉。
「心臓は、筋肉ですから、毎日動いているうちに、どんどん強くなって改善されていく場合が多いので、じっくりと観察していきましょうね。」と・・・。

その言葉を信じ、祈るばかりでした。

おかげさまで、先生のおっしゃったとおり、1歳の時点で、少しずつ、状態が良くなってきていたので、カテーテル検査はしませんでした。

幼稚園入園までは、毎月。
その後、3ヶ月に1度、半年に1度とだんだん検査の間隔が広がり、
小学校入学前を最後に、この病院での心臓検査は終了しました。

それでも、いつどうなるか分かりません。
今は、娘の疾患の専門医のもとで、心臓の検査を受けています。

2007年の夏心エコーを久しぶりに受けました。
もう、大きくなっていて眠り薬を飲む必要もありませんでした。
おかげさまで、エコーも心電図も心拍数も今のところさし当たって大きな問題はありませんでした。
でも、不整脈が時折起こるので、日常の心拍数を時折脈を取って、確認しておいてやらなければなりません。

手術することなく、ここまで育ってくれて嬉しい限りです。

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妖精ちゃんの誕生

12年前の12月、私の初めての子供、娘が誕生しました。
2650gと、少しちっちゃめ。
予定日よりも、1週間早く、朝9時の破水からお産が始まりました。
この日は、お友達とランチに行く約束をしていたのですが、もちろんキャンセル。
すぐに、病院へと急ぎ、そのまま入院。
お医者様は、「明日になるでしょう」とおっしゃていましたが、思いのほか早くお産は進みました。
「まだまだですよ。」の言葉に、主人は一旦自宅へ。
その間にも、お産は進み、看護婦さんが、産道の開き具合を診に来られたときには、すでに頭が・・・。
大急ぎで分娩台へと行きました。
お医者様がまだ来られないからと、出ようとする頭を手で押さえてらっしゃいます。
「いきんじゃダメ!」と言われても、勝手にいきんでしまいます。
「もうダメ~~~」と思った時に、先生が到着!
助産婦さんの指示に従って、無事生まれて来てくれました。
初産のわりにとても安産。
でも、生まれた娘を見たとき、「えっ?赤ちゃんってこんなに不細工なの?」と正直思いました。
縮れっ毛で、顔色もあまりよくなく、目もはれぼったく、鼻も低く、唇もぶ厚め。
この頃、テレビのコメンテーターとして出演されていた「和田勉」さんにそっくり!
この時は、まだ娘にハンディキャップがあるなんて、知る由も無かったのです。

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